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『父フロイトとその時代』マルティン・フロイト(白水社)

父フロイトとその時代

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フロイトのウィーン」

フロイトには三人の息子と三人の娘がいた。息子たちはマルティン、オリヴァー、エルンストであり、娘たちはマティルデ、ゾフィー、アンナである。息子たちは精神分析からは遠い世界で育ったが、末娘のアンナだけは父親から精神的にも身体的にも離れようとせず、精神分析の世界で活躍することになる。

この書物は長男のマルティンフロイトの生誕百年が祝われた年に書き始められた記録であり、フロイトが生きていた時代と世界がありありと描きだされる。新しいフロイトの伝記で、これからも標準的な伝記として参照されるはずのピーター・ゲイ『フロイト』にもこの書物からの引用がたんさんあり、馴染みの逸話も多い。しかしもとはこの書物が参照されていたのだ。

ごく身近な目からみたフロイトが描かれているだけに、フロイトがどのような人物であったかを、フロイトの書物とは別の形で思い浮かべることができる。同時に、フロイトが生きたウィーンが当時、どのような雰囲気だったも感じとることができるという意味で貴重な作品である。ついでにウィトゲンシュタインのウィーンを感じとることもできるだろう(フロイトの生年は一八五六年、ウィトゲンシュタインの生年は一八八九年だ)。

まだナチスの脅威のなかった頃のウィーンで、フロイト一家はまさにブルジョア的な生活を送っていた。それは毎年の夏に一月以上をかけて、さまざまな避暑地で休暇を過ごしていることにも象徴されるだろう。マルティンの記憶は、避暑地における休暇の記憶でつづられているといってもいいくらいだ。

そしてフロイトは避暑地を探すことに、情熱を傾けていたのである。「家族が夏休みを過ごす場所を選ぶのは、いつも父の役目だった。父はそれをとても真剣に受け止めていた。実際、これは後年、父が家族の気に入るだろうと思われる場所を探して山々を歩き回り、一種の開拓者の役割を果たすようになると、芸術の域に達した」(p.68)ほどである。

当時はまだ帝国だったオーストリアのすべての人々がこうした休暇を楽しんでいたわけではなかった。マルティンが砲兵隊に入隊したころ、歩兵の部隊では「一九一四年になってまだ、羊毛の靴下を支給されていなかった。渡されたのはフランネルの四角い生地で、それで足を丁寧にくるみ、長靴に押し込むのだった」(p.169)という状態だったのである。

そしてやがてナチスの足音が聞こえてくるようになると、オーストリアではユダヤ人差別の嵐がふきすさぶようになる。ドイツと比較しても、オーストリアの一般の人々の迫害は厳しいものだったという。「特に奇妙に思われたのは、住人がユダヤ人を見たことが滅多にない、あるいは一度もない、オーストリアのアルプスの小都市や小村で、反ユダヤ主義が際立っていることだ」(p.256)。アルプスの町々にユダヤ人を迫害せよというナチスの命令が届くと、「命令に従うこと不可能。ユダヤ人を送られたし」という電報を送ったのだという(これがブラック・ユーモアでないかどうかは不明だが)。

フロイトが生涯の最後において必死に取り組んだ書物は『人間モーセ一神教』であり、この書物の裏のテーマは西洋の文明における反ユダヤ主義の謎を解くことだった。ユダヤ人差別に苦しんだマルティンもまた「伝説やメルヒェンで何世紀にもわたって育まれてきた憎悪が、いつか消滅する時がくるかどうか」を疑問に感じているのである(Ibid.)。父親の悩みと苦しみは、同時に息子の悩みと苦しみでもあった。

マルティン精神分析の世界には入らなかったが、父親から「分析」をうけたことが一度だけあった。精神分析は、患者に語らせることによって治癒をめざすのだが、息子も同じ手当てをうけたことがあったのである。この書物でいちばん印象のふかいところなので、引用しておこう。

マルティンは幼いころ、スケート場で罪もないのに平手打ちされるという屈辱を味わったことがあった。反撃しようとしても、皆に押さえられて、激しい怒りと屈辱感を経験したのである。帰宅して家族にその話をすると、父親は息子を自室に呼んだ。息子は自分の名誉が傷つけられたこと、そしてそのことを深刻に思っていることを詳しく語ったのだった。

「僕は細部にわたるまでよく覚えていたのだが、父が何を言ったのかということだけは、ほとんど思い出せない。覚えているのはただ、魂を破滅させるほどの悲劇に思えていたことが、ほんの数分後には普通のバランスを取り戻していたことだけである」(p.58)。マルティンは父が催眠療法を用いたのか、精神分析をしたのかと自問しながら、アルプスの猟場の番人の譬えで説明する。

「あるときバイエルンのアルプスで、猟場番人が密猟者の網にかかった小さな動物を逃がすところを見た。とても慎重に、一つずつ、小動物を捕らえている網の糸をはずしにかかる。決して急がず、動物が暴れても忍耐強くそっと押さえている。やがて食い込んでいた糸が残らずはずされた。自由になった動物は好きなところへ行き、すべてを忘れることができた」(Ibid.)。これはトラウマの処置のために、まことにわかりやすい譬えだと思う。

【書誌情報】

■父フロイトとその時代

マルティンフロイト 著

■藤川芳朗 訳

白水社 2007.4

■314p 20cm 2800円

■ISBN  9784560024508


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