『古代アンデス--権力の考古学』関雄二(京都大学学術出版会)
「インカ帝国以前の国家の形成」
先日の日曜日(七月一日)NHKスペシャル「失われた文明 インカ・マヤ」のシリーズで、第一回の「アンデス ミイラと生きる」が放映された。ミイラの包みに顔を描いて、敵の神聖なる墓地を占拠して、支配してしまう戦略がとても興味深かった。
ただこうした死者による陰鬱な攻撃戦略だけではなく、「こうしてパチャクティは、王子トパ・インカとともに、戦って領土を奪うよりも、むしろ飢えのない豊かな暮らしを人々に与えることを基本として、言葉の違う 80の民族を50年で統一したと言われる。この実り豊かな国を築き上げたパチャクティこそ、インカの真の創設者であった」ところにこそ、帝国の土台があったのもたしかである。次の日曜は「マチュピチュ 天空に続く道」が15日には「密林が生んだ二千年の王国」が放映されるらしい。
ところでインカ帝国が成立したのは十五世紀になってからだが、紀元頃にはこの地にすでに国家が成立していた。本書は京都大学出版会が始めた新しいシリーズ「諸文明の起源」の一冊で、アンデス地方における国家の形成のプロセスを、とくに考古学的な見地から考察したものである。サブタイトルにあるように、考古学的な知見に基づいて、現地の社会のリーダーまたは支配階級が、経済、軍事、イデオロギーという三つの「権力資源」(p.25)をどのように駆使していたかを調べながら、それが国家段階にあるのか、前国家段階にあるのかを点検しようとする。
もちろん目新しい方式ではないが、著者は調査の際に、この三つの資源がどのように活用されているかをつねに念頭においておくことで、「今になって、あのデータを集めておけばよかったと後悔」(p.286)することのないようにするというわけである。歴史や考古学の調査では、想像力を働かせることが求められるが、その想像力の働くマトリックスをこの三つの資源で構成しようとするわけだ。
経済の資源としてはさまざまな建造物とそのアクセスの制限や、特定の動物の利用、植物の利用などが各発展段階ごとに点検される。建造物に何人くらいが入れるのか、上部の層にアクセスを認められる人数はどの程度かによって、その社会の階層構成の有無とその分化の程度を推定することができる。祭祀建造物では「基壇上部へ行けば行くほど、アクセスが制限されている」(p.124)ことが多く、「祭祀空間へのコントロールが存在していたことが推測される」のである。
ラクダ科のリャマを利用することが社会にどのような影響をもたらしたか、あるいは社会や気候の変動がそれにどのような影響を与えたか、トウモロコシを醸造してアルコールとして利用し、それを祭祀における特別な飲み物として利用することが、支配者にどのような力を与えたかなどを考えるわけだ。
軍事的な資源としては、兵器などの物質的な遺物だけでなく、絵画に書かれた兵士たちの衣服や軍服なども、その社会の軍事的な発展度を示すことができるし、死者の頭蓋骨の損傷を調べることで、供犠が行われたかどうかを推測することもできる。イデオロギー的な資源としては、建造物に描かれた神話的な物語、土器の絵画などのさまざまな要素から、その社会で特定の王朝や神官階級が成立していたかどうかなどを思い描くことができる。
クントゥル・ワシで大量の副葬品を伴う墓が発掘されており、こうした副葬品も階層の分化を教えてくれるだけでなく、死者に頭蓋変形があることからも、新生児の頃から特別な存在として育てられたこと、「被葬者が後天的にカリスマ性を発揮して、その地位を得たのではないことがわかる」(p.157)のである。
紀元前五〇〇〇年頃から紀元頃までの五〇〇〇年にわたる長いスパンで、気候の変動の影響などもあって、アンデスでは直線的な進歩というよりも、文明が興隆し、やがてそれが衰え、また別の文明がほぼ同じ場所に興隆するという波状の展開が発生していたらしい。著者はそれを「神殿更新」という概念で説明しようとする。これは一つの構造物をそのまま、あるいは部分的に壊した上で、まるで封印するかのように、内部空間を大量の礫と土で一気に埋め、その上に新たな、しかし基本的には同じ構造の建物を据えていた」(p.260)という発見に依拠するものである。
アンデスの固有の条件に依拠したこうした「一定期間ごとの建物の更新」が、「既存の固定観念を揺るがす」(p.284)「アンチテーゼ」となりうるかどうかは不明だが、社会の発展が神殿の形成を促すというよりも、神殿の形成が社会の発展を促すという逆転の発想は興味深いものである。エジプトでもピラミッドの建設をめぐって同様な状況が確認されているのだ。
ただ著者の問題意識とは別として、紀元の頃にアンデスでモチェという国家が成立するにいたった不思議さについても考えるべきなのだろうと思う。北米ではその後も長いあいだ、国家を成立させない工夫がこらされてきたことは、モースの贈与論やクラステルの『国家に抗する社会』などで詳しく考察されていることだからだ。神殿更新は、神殿破壊でもある。前の文明の神殿を敢えて破壊し、そこにみずからの神殿を作り直すという方法が繰り返されたとしたら、それは国家の形成にいたる過程が直線的ではなく、波状的なものだったこと、国家を形成しない方法でもあったのかもしれないからだ。
著者は国家の成立にいたる歴史について三つのパターンを示している。文化生態学的なモデル、ウィットフォーゲルの灌漑モデル、カーネイロの環囲環境理論である(p.7)。第一のモデルは社会の形成から国家の成立を進化主義的に捉える理論であり、第二の理論は国内統合のプロセスのうちに国家が形成されていくと考えるものであり、第三の理論は他の社会との闘争や競合のうちに国家が形成されていくと想定するモデルである。どれも国家の形成を自明の前提として、その成立にいたる経緯を問うものであり、国家を形成しない方法を問うものではない。ぼくとしては別のモデル、国家の形成されないモデルのほうにも、強い関心をひかれる。
【書誌情報】
■古代アンデス--権力の考古学
■関雄二著
■京都大学学術出版会
■2006.1
■315p 図版2p ; 19cm
■シリーズ名 学術選書 ; 6 . 諸文明の起源 ; 12
■ISBN 4876988064
■定価 1800円