『人類学的思考の歴史』竹沢尚一郎(世界思想社)
「文化人類学のわかりやすい展望」
最近どうも文化人類学の分野で目立った本がないと考えていた。もちろんレヴィ=ストロースの『神話論理』はやっと翻訳が出始めたが、神話学の詳細な分析は、文化人類学の本来の分野とは少しずれている。ポストコロニアルやカルチュラル・スタディーズに負けているという感じなのだ。
本書は誕生以来の文化人類学の代表的な潮流と理論家を歴史的に考察する書物で、文化人類学(社会人類学)の歴史を一望できるところはありがたい。しかも同時に、なぜ文化人類学に元気がないのかを考えさせてくれる一冊でもある。
著者によると文化人類学の歴史では、三つの伝説的なセミナーがある。それぞれが新しい流派を始めた重要なセミナーだ。それは1923年に始まるマリノウスキーのLSEでのセミナー、1898年からのコロンビア大学でのフランツ・ボアズによるセミナー、1925年に「パリ大学付属民族学研究所」でのモースのセミナーである。
最初のマリノウスキーのセミナーは、機能主義的な民族学を始めたマリノウスキーによるものだ。彼は個々の「制度が文化の機構全体のなかで果たしている役割」としての「機能」を考察する必要があることを主張した(p.52)。たとえば危険の少ない珊瑚礁での漁には呪術が付随しないが、外洋での漁では呪術が不可欠になっていることについて、「不安を除去し、未来に対する確信を付与する」という機能を呪術が果たしていることを指摘するのである(p.54)。
このセミナーに集まったのは、レイモンド・ファース(『われらティコピア人』)、エヴァンス=プリチャード(『アザンデ妖術・託宣・呪術』)、グレゴリー・ベイトソン(『精神と自然』)などであり、なぜかイギリス社会ではマイナーな人々が集まり、「戦間期および第二次世界大戦後に活躍することになるイギリス人類学者のほとんどを擁していた」(p.55)というものだ。
ボスの「パパ」マリノウスキーは弟子に料理をさせたりすることもあったらしいが、ポストをみつけてやり、研究資金を見つけてくるなど、さまざまな世話もしたのだった。ただ「法、親族、妖術といった特定のテーマについての綿密な記述はあっても、分析のための鋭利な概念や方法」(p.55)に欠けているというのは大きな欠陥だった。
一方では、アメリカでヨーロッパ系の社会人類学ではなく、文化人類学を創設する上で力のあったボアズのセミナーは、文化相対主義を主張するボアズの大きな影響のもとで、自文化と異なる文化をみる眼を養うことに力をいれていた。「われわれの観念や概念が真実であるのは、われわれの文化の枠のなかでしかないという事実」(p.213)を重視させたのだ。
このセミナーからは、言語人類学で有名なサピア、『菊と刀』で日本社会を分析したベネディクト、『サモアの思春期』で、サモアの人々の性生活の「奔放さ」とアメリカ社会の「きゅうくつさ」を比較したミードなどの人々が出ることになる。
第三のモースのセミナーは、レヴィ・ブリュル(『未開社会の思惟 上下』)など、デュルケーム学派の人々とともにモースが始めたものであり、モースはここから刊行する『社会学年報』に、膨大な論文を発表することになる。「贈与論」「供犠論」「身体技法」「人格の概念」など、今なお古びていない論文が多い。
このセミナーからは、ドゴン族の研究『水の神』で有名なマルセル・グリオール、『言葉とみぶり』で有名な先史学者のアンドレ・ルロワ=グーラン、作物学の権威のアンドレ・オードリクール(『文明を支えた植物』)、地理学者のジャック・スーステル(『アステカ文明』)、神話学のジョルジュ・デュメジル、ジャン・ピェール・ヴェルナン、ミシェル・レリス、そしてレヴィ=ストロースと、綺羅星のような人材が育っていく。人間の才能を見抜く能力にすぐれていたモースのセミナーだけあって、人類学よりも他の分野で才能を開花させた人々が多いことにも注目される。
こうして一時期は盛んだった人類学が、最近ではすっかり勢いを失っていることについて、著者は、最後の二つの章で、サイードのオリエンタリズム批判や、ウォーラーステインの世界システムなどに触れながら、考察している。本書は宗教研究を中心とするものの、レヴィ=ストロースやモースの理論の要約や、詳細な(ただし包括的ではない)文献表もあって、文化人類学の歴史書としては定番となる一冊かもしれない。
【書誌情報】
■人類学的思考の歴史
■竹沢尚一郎著
■2007.6
■379p ; 22cm
■ISBN 9784790712695
■定価 3800円