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『空と海』アラン・コルバン(藤原書店)

空と海

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「空と海をめぐる感性の変化の歴史」

 ちょっと見にはバシュラールの著書のようだが、精神分析ではなく、感性の歴史である。『においの歴史』と『浜辺の誕生』の著書のあるアラン・コルバンのお手のものだろう。とくに「海」に関しては、『浜辺の誕生』で積んだ学識が巧みに生かされる。

 この書物がターゲットとするのは、ル=ロワ=ラデュリューの『気候の歴史』のような経済学的、社会的、生態学的な視点による考察ではなく、「文化史の一要素、つまり表象と評価の社会的形態をめぐる歴史の一要素」(p.14)である。

 「空」については、気候一般と雲が重要なテーマだ。ある時期からイギリス人が、気候の変化が身体や感情に及ぼす影響に敏感になり、それを日記などに克明に記録し始めたという。「この記録は自己を語るエクリチュールの芽生えと繋がり、土地の歴史をつづり、フランスやイタリアで書かれていた家事日誌に似た一種の欲望と結びついていた」(p.10)らしい。

 そしてバークやカントが導入した「崇高な美」という概念に依拠して、「雷雨、嵐、暴風雨、竜巻、大渦潮、雪崩、氷河などを前にした時に覚える情動の新たな布置」(p.32)が誕生することになる。登山の流行や気球の発明なども、高所についての新たな経験を生み出したのだった。「悪天候の中でこそ主体が誕生した」(p.36)というのは大袈裟でも、「気象の変化と密接に関連した内面化の作業がおこなわれた」(同)のはたしからしい。

 またイギリスのロマン主義者たちは、海にさまざまな想像力をかきたてられたようだ。海は旧約聖書の怪物レビアタンの住家であり、パウロが航海した地中海は「神学的な海」(p.69)という性格を帯びる。浜辺は娯楽と治療の場となり、海辺の光景は新しい絵画と文学を生む。そして自然神学は、「その楽天主義によって、海辺への欲望が復活する要因になった」(p.79)のである。

 海水は、人々に驚きを与えた。「飲めないものなのに、海水は魚を生かし、古代以来認められてきた治療効果をもっている。しかも〈白い黄金〉たる塩は、食物の基本要素の一つである」(p.108)という理由からだ。さらに人間の体液に含まれる塩分が、海水の塩分とほぼ等しいことが明らかになると、人間はその「存在の中に母体的な要素を内包している」(p.109)と考えられるようになり、詩人たちにインスピレーションを与えた。

 教会で使われる聖水は、洗礼の水とは違って塩水であり、それは「悪の勢力を駆逐する力をもらたす」(p.123)と信じられていた。「塩は霊的な健全さを付与し、聖体以前の最初の糧である」(同)とされたのである。

 このように空と海をめぐって、気象と水と塩をめぐって、コルバンはさまざまな歴史的な伝説、文学、絵画などを取り上げて、その感性的な変化の歴史を追う。この方法であれば、ギリシア神話旧約聖書から、現代の作品にいたるまで、素材は無尽蔵である。著者はいかにも楽しそうなので、ぼくもつい誘惑される(笑)。

【書誌情報】

■空と海

アラン・コルバン

■小倉孝誠訳

■藤原書店

■2007/02

■200p / 20cm / B6判

■ISBN 9784894345607

■定価 2310円

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