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『「幸せ」の経済学』橘木俊詔(岩波書店)

「幸せ」の経済学

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「「幸せ」とは何か」

 「幸せ」とは何か――この問題に答えるのは難しい。経済学者は国際比較をするとき、一人当たりの所得に注目しがちだが、この方法は昔から経済学者以外の人たちから批判されてきた。それゆえ、経済学者も過去数十年「幸せ」を測るためのいろいろな指標を考案してきたのだが、一人当たりの所得ほど人口に膾炙しているとは言えないようだ。


 本書(橘木俊詔著『「幸せ」の経済学』岩波現代全書、2013年)で最初に紹介されているのは、イギリスのレスター大学が178か国を対象におこなった研究(2007年)である(同書、14ページ)。この調査は、(1)良好な健康管理、(2)高いGDP、(3)教育の機会、(4)景観の芸術的美しさ、(5)国民の強い同一性、(6)国民の信仰心、などの基準をもとに国々の幸福度をランキングしている。それをみると、第1位はデンマークであり、スイス、オーストリアアイスランドがこれに続いている。日本は90位、中国は82位、アメリカは23位である。

 著者は第1位になったデンマークの事情に関心をもっているように思える。著者は、「比較的暖かい気候と平坦な土地」に支えられた農業、農業協同組合の発展を通じて醸成された「自由・平等・民主・連帯の意識」、「国民の福祉制度の充実」、「所得格差が小さいながらも平均としては比較的高い所得」などが同国の幸福度を高めているとまとめているが(同書、77ページ)、興味深いのは、デンマークがそのような国になった文化的背景を紹介しているところである。例えば、デンマークの国民的詩人グルントヴィ(1783-1872)の詩(『国民唱歌集』第17版、463番)のなかに次のようなものがあるという(同書、65ページ参照)。

 「人生は、平凡で楽しく暮らし、働く生活がよい。

このような生活は、王の生活と交換できない。

老いた者たちと一緒で、素朴で楽しい生活がよい。

王宮の中も、あばら家の中も、同じように素晴らしい。」

 著者は、この詩の中に、「すべての人が平凡ながらも質素に暮らす生活がよい」という意味が込められているのだと解釈しているが、そのような精神的文化がデンマークの諸制度に体現されているというわけだ。このような幸福感は、著者が「定常経済時代」の「幸せ」を論じるときに再び登場するので、頭に入れておきたい。

 ところで、まだ記憶に新しいが、8年前(2005年)の国勢調査のとき、ブータンでは、97%の国民が「幸せ」であると感じていると世界中に報道され大きな反響を呼んだ。ブータンは、4代目の国王が1976年にGNH(国民総幸福)という指標を提唱したが、これには、①経済的自立、②環境保護、③文化の推進、④良き政治、の四つの柱があった。この指標はのちの2006年に拡充されて九つの指標となっているが(同書、81ページ参照)、この指標を使っても8割前後の人びとが「幸せ」であると感じていたという。

 ただし、ブータンの国民も、「家族関係」には大いに満足しているものの、「経済的な豊かさ」に満足している人の比率は低かった。それゆえ、情報社会の波が同国に押し寄せると、このような「古き良き時代」にも変化がみられるようになる。著者が引用している『朝日新聞』(2011年7月1日付)によると、2010年には、ブータンの国民の41%しか「幸せ」を感じなくなってしまった。著者はこの調査結果を次のように読み解いている。

「これは既に述べたように国民が外国の人びとの豊かな生活を知るようになったことに加えて、人生において経済生活の果たす役割が大きいと思うようになったことが影響していると推察できます。換言すれば、家族の絆を中心にした貧乏生活だけでは幸福を感じることができない、とブータン国民が思い始めたのです。先進国のようにある程度の所得がないと満足な生活とはならない、あるいは幸福な人生のためにはある程度の所得が必要である、と思うようになったと解釈しておきましょう。ブータンも先進国への道を歩まねばならないという国民の意思表示なのです。」(同書、84ページ)

 この辺に「幸せとは何か」という問題の難しがあると言ってもよいが、先進国になったとしても、「相対所得仮説」(人は自分の所得を周囲の人のそれと比較して幸福度や不幸度を感じるので、経済格差の下にいる人の不幸度が上がる)や「順応仮説」(人は条件の変化にすぐ反応するので、所得が増えてもそれにすぐ慣れてしまい、幸福度が上がらなくなる)が教えるように、問題の難しさは消えない。

 だが、昔のブータンに戻ることはできずとも、現代は「定常経済時代」への適応が求められているという認識の上に、著者は、前に紹介した幸福の指標に加えて、フランスのサルコジ前大統領時代に勧告された幸福度の指標、簡単にいえば、「家計の重視、分配への配慮、環境問題への対処、所得だけではない生活の質への考慮」(同書、138ページ)を重視した方向へ舵を切らなければならないと主張している。

「もうGDPを追い求めるだけが、すなわち経済を豊かにするだけが、日本の目標ではないのではないか。そこそこの経済力を保てばいいのではないか。全員が食べていけるだけの所得が得られる経済規模をキープして、労働時間を短くして余暇の時間を多く取っていろいろなレジャー活動にコミットしてほしいと考えます。」(同書、145ページ)

 このような見解は、著者自身が認めているように、わが国ではまだ少数派だが、労働経済学や社会保障問題を長年研究してきた著者の目には、アメリカ流の自立精神に立脚した「低福祉・低負担」の制度はもはや限界にきており、ヨーロッパ流の「中高福祉・中高負担」の制度を再構築しなければならないと映っているようである。

 だが、憂うべきことに、このような制度の再構築が成功するかどうかは、国民が政府の「質」をどのように考えているかにかかっているという。将来への明るい展望を期待していた読者は、ある意味で、本書の結びの言葉によって裏切られる。もちろん、これは著者一流のレトリックで、本当はそうであってはならないと思っているはずだが、読む人によっては反対の意味に誤解されるかもしれない。

「以上、日本政府の仕事ぶりに対する低評価を解釈すれば、国民は日本政府のやることを信じておらず、結局甘い汁を吸っているのは政治家と官僚であり、自分達はよいサービスを受けていないとの判断です。そうであるなら、たとえ高い税金と社会保障料を政府に払っても、見返りのある福祉や教育の分野で良いサービスを受けることは期待できないので、今のままの「小さな政府」の姿でいた方がよい、と思っていると判断していいでしょう。」(同書、171ページ)

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