『オーケストラは未来をつくる マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の挑戦』潮博恵(アルテスパブリッシング)
「MTTとサンフランシスコ響の挑戦」
マイケル・ティルソン・トーマス(しばしばMTTと略称される)は、レナード・バーンスタイン亡きあと、アメリカのクラシック音楽界を担ってきた鬼才のひとりだが、本書(潮博恵『オーケストラは未来をつくる』アルテスパブリッシング、2013年)は、MTTとサンフランシスコ交響楽団がどのようにクラシック音楽の未来を切り開こうとしているのかに焦点を当てた好著である。
私がMTTの演奏を初めて聴いたのは、彼がロンドン交響楽団の首席指揮者をつとめていた頃だから、ずいぶん前の話である。MTTの指揮ぶりには好感をもったが、その頃はまだカラヤンやバーンスタインが健在だったので、正直MTTの録音や演奏を注視する暇はなかった。本書を読む限り、著者がMTTにとくに関心を寄せるようになったのも比較的最近のこと(2006年12月、MTTとサンフランシスコ響を紹介するブログを開設)のようだ(注1)。
だが、本書を読むと、MTTがサンフランシスコ響と実に興味深い活動を展開しているのがわかる。
サンフランシスコ響の専用コンサート・ホール(デイヴィーズ・シンフォニー・ホール)が完成したのは1980年、ときの音楽監督はエド・デ・ワールトであった。このホールは、のちに音響改善工事(1991年から92年にかけて)を経てさらに立派なホールに生まれ変わるが、MTTがサンフランシスコ響の音楽監督になるのは1995年であり、躍進への基礎は前任者のヘルベルト・ブロムシュテット時代に出来上がっていたと言えるかもしれない。
著者によれば、MTTは三つのヴィジョンを抱いていたという(同書、102-110ページ参照)。
第一は、アメリカの音楽とアメリカン・サウンドを重視すること。アメリカの指揮者がアメリカの音楽を重視するのは当たり前のように思えるが、アメリカといえども、聴衆がアメリカの音楽をつねに聴きたがるとは限らない。MTTは、「アメリカ音楽を聴くことが、アメリカという国や社会の来し方を知り、行く末を探ることにつながる」(同書、103ページ)という信念をもって、毎回のコンサートでアメリカの作品を演奏した。アメリカのオーケストラがヨーロッパのそれと同じになる必要はなく、「ヨーロッパのオーケストラが提供するクラシック音楽とは違うものを提供するという姿勢」(同書、105ページ)を貫くのはそれほど簡単ではない。しかし、MTTはアメリカ音楽の特徴である、ダイレクトな表現やブレーンな語り口を活かした演奏を続けた。日本のオーケストラが、日本人の作品を毎回コンサートで演奏しているかといえば事実はそうではないので、MTTの信念がいかに固いものであったかがわかるだろう。
第二は、MTTが用いる決め台詞「生きているというだけで、あなたは必要なことをすべて知っている」ということ。クラシック音楽は専門家だけのものではない。MTTは、クラシック音楽は「人生とは何か」を探求しており、しかも人間は誰でも人生を探求しているのだから、クラシック音楽はすべての人に通じていると考えていた(同書、107ページ参照)。それゆえ、MTTの仕事は、曲の選択や組み合わせを工夫し、聴衆に人間や人生の多様性が伝わるような演奏を心がけることになるのだ。
第三は、「音が消えたあとで心に残るもの」を大切にすること。MTTが演奏する音楽は必ずしも耳に心地よいものばかりではなく、ときには聴く者を混乱に陥れるものもある。しかし、MTTは、音が消え去った後(一週間後、一年後、十年後)でも聴き手に何かが残るはずだと信じていた。「何か」の例として、「メロディ」「リズム」「他の人間や別の文化への理解」などが挙げられているが、MTTがサンフランシスコ響100年を振り返ったドキュメンタリーの最後で述べたという次の言葉は引用に値すると思う。
「私が曲を演奏するときにもっとも興味があるのは、音楽が止まったときに何が起こるか、音楽が終わったときに私たちが手にしているものは何かという点にあります。音楽の何かが私たちの内面に入り込んで、違う人間に変えるのです。このことが音楽の素晴らしい魅力であり、これまでも、そしてこれからも人々を惹きつけてやまない神秘なのです。」(同書、109ページ)
本書を読むまで、私はMTTがこのようなヴィジョンをもって音楽活動をしていたとは知らなかったが、MTTとサンフランシスコ響が力を入れているいろいろな活動(地域の学校への音楽教育の提供、オーケストラ版オープン・エデュケーションというべき「キーピング・スコア」、アマチュア音楽家のコミュニティづくり、若手音楽家を対象にした「ニュー・ワールド・シンフォニー」の創設など)をみると、MTTが並々ならぬ情熱をもった音楽家であることを改めて認識した(注2)。とくに感心したのは、MTTが「子供だから」という理由で彼らを決して侮らないことだ。「『子供だからこのていど』ではなく、『子供だからこそ本物を』という発想」(同書、146ページ)には敬服する。
ところで、最近MTTが録音したマーラーの交響曲全集を聴く機会があったが、この録音はサンフランシスコ響の自主レーベルから出ているSACDである。現在はマーラーはある意味でベートーヴェンやブラームスよりも人気があるので、市場には名指揮者によるマーラー全集があふれている。それゆえ、大手のレコード会社は新たにMTTとサンフランシスコ響の演奏でマーラー全集を製作することに消極的だった。
しかし、MTTのマーラー演奏は以前から定評があり、本人もそのことを自負していたと思われる。それなら、いっそのこと、自主レーベルで製作しようというわけだ。もちろん、理事会には慎重な意見もあったに違いない。しかし、「挑戦」を称賛するベイエリア気質にも助けられて、演奏と録音に徹底的にこだわったマーラー録音が開始された。その演奏の数々は何度もグラミー賞に輝いたほど成功をおさめたが、これなどはMTTとサンフランシスコ響のチャレンジ精神とベイエリアの地理的環境が生み出した最高の贈り物だったと思う。
私も長いブランクを経て再びMTTの演奏を聴き始めたが、MTTとサンフランシスコ響の活動は、まさにシュンペーターのいう「イノベーター」(革新者)のそれに他ならない。「いままで見たことがない新しい見方、新しいヴィジョンを感じる演奏がしたい。そして、自分のキャリアを考えたとき、成功とはタイトルやラベルではない」(同書、94ページ)という著者の言葉はMTTの本質を突いているのではないだろうか。
1 著者のウェブサイトが参考になる。
2 アメリカの記事を読んでいると、ときどきMTTの関係した記事のことが登場する。