『国家と音楽家』中川右介(七つ森書館)
「”音楽家には国境がある”」
「音楽に国境はない」というのは真実だろうが、過去の歴史をひもとけば、「少なくとも、音楽家には国境がある」。これが、本書(中川右介著『国家と音楽家』七つ森書館、2013年)の重要なメッセージのひとつである。本書には、政治に翻弄された音楽家たち(フルトヴェングラー、カラヤン、トスカニーニ、カザルス、ショスタコーヴィチ、バーンスタイン、等々)がたくさん登場するが、「天下泰平」の世ならともかく、20世紀の激動の時代を生き抜いた音楽家たちの生涯を追うと、やはり「音楽家には国境がある」と言わざるを得ない。
著者はすでにこのテーマで何冊か本を書いているので、ヒトラー政権とフルトヴェングラーの微妙な関係、当時ナチ党員でありながらワーグナーのあるオペラの演奏上のミスでヒトラーに嫌われたカラヤンの話などをよく知っている読者も少なくないかもしれない。
第二次世界大戦後の「非ナチ化審理」で、フルトヴェングラーは「多くのユダヤ人を助けた」し、カラヤンは「ヒトラーに嫌われていた」という主張で二人とも無罪となった(同書、49ページ参照)。フルトヴェングラーのベルリン・フィル復帰コンサート(1947年5月25日)は観客から大歓迎を受けたが、アメリカの新聞の特派員としてヨーロッパにいたトーマス・マンの娘(エーリカ・マン)は、冷めた目で次のように書いたという(同書、51ページに引用)。
「反ナチとしてドイツを追放されたブルーノ・ワルターや、ブロニスラフ・フーベルマン、アドルフ・ブッシュといった音楽家がベルリンに復帰したというのであれば、祝福すべき出来事かもしれないが、ベルリンは、彼らよりも先に、フルトヴェングラーを望んだ。ドイツ人は何も反省していないのではないか。」
フルトヴェングラーは、これを読んでトーマス・マン宛に弁面の手紙を書いたらしいが、トーマス・マンの反応も冷たかった。「自分の落ち度を認めない、ドイツ的エゴイストの典型だな」と(同書、51ページ)。
トスカニーニのファシズムとの対立も有名だ。プッチーニの最後の未完のオペラ「トゥーランドット」上演に当たって、トスカニーニは初日だけはプッチーニが筆をおいたところで演奏をやめた(フランコ・アルファーノが補作した完成版の演奏は二回目から)。出演者たちには予定通りの行動だったが、トスカニーニはなぜそんな手の込んだことをしたのか。著者は次のように推測する。あらかじめ言っておくと、ムッソリーニは何かを察知していたのか?初日に現れなかった。
「『トゥーランドット』完成版は、群衆が「皇帝万歳」と大合唱して終わる。そして幕となって、場内が大喝采に包まれるなか、貴賓席のムッソリーニが立って手でも振れば、まるでムッソリーニを讃えるオペラのようになってしまう。トスカニーニはそれを避けたかったのではないだろうか。」(同書、70ページ)
スペインのフランコ独裁政権と闘ったパブロ・カザルス、第二次世界大戦中ベルリンでの演奏やヴィシー政権への協力で「対独協力者」の汚名を着せられたコルトー、ソ連の政治に翻弄されながらもそれをくぐり抜けたショスタコーヴィチ、亡命ピアニストとなったルービンシュタインなど、クラシック音楽のファンには周知の話かもしれないが、「国家と音楽家」というテーマでまとめて読むと、「音楽家には国境がある」という本書のメッセージが効果的に読者に伝わるように配慮してあると思う。
それぞれ興味深い話なのだが、私には意外にもバーンスタインを扱った章が本書の白眉のように思える。ケネディ大統領とは懇意の間柄であったが、1962年春、アメリカがソ連に対抗して核実験を再開すると宣言したときは、核兵器反対のデモ行進の先頭に立って抗議した。「平和の闘士」バーンスタインはベトナム戦争をめぐってニクソン政権も容赦なく批判した(もっとも、ベトナムとの休戦を秘密裏に交渉していたのはニクソン政権だったが)。ニクソンが再選され就任記念コンサートがおこなわれる同時刻に、バーンスタインは、ワシントン大聖堂で「平和への嘆願」と銘打ったコンサートを開いた(同書、316-317ページ参照)。ときの政権にとっては、「憎らしい」音楽家であったかもしれない。かつてバーンスタインはケネディに次のように言われたことがあるという。「僕の知る限り、きみは決して対立候補にはしたくない唯一の男だよ」と。
バーンスタインは、1989年11月、国民藝術勲章を授与されることになっていたが、その勲章の受章者を決める全米藝術基金がエイズをテーマにした展覧会への補助金一万ドルを撤回したのに抗議して勲章を辞退した。公開されたときのブッシュ政権への手紙には次のように書かれているという(同書、324ページに引用)。
「あなた(ブッシュ)の政権下で公式に表彰されるためにワシントンに行けば、これ以上の息苦しい日々はたくさんだと思いながらも、愛想の良い紳士的な沈黙と共にメダルを集めることに満足している政府公認藝術家であると思われかねないので、そんなことはできない。」
「音楽家と政治」は、フルトヴェングラーの時代から現代に至るまで、決して消えることのないテーマである。「音楽と政治は別」と考えたい人たちがいることは否定しないが、戦時下で究極の決断を迫られた音楽家たちの物語は、真実はそれほど単純ではないことをまざまざと教えてくれる。重いテーマだが、私たちも決して目を瞑ってはならない重要な問題であり続けるだろう。