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『お父さんはやっていない』矢田部孝司 矢田部あつ子(太田書房)

お父さんはやっていない

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「この人、痴漢です。」という一言がすべてを変えてしまう。今まで築いてきた名誉、信用、家庭、すべてにその一言が亀裂を入れてしまうのである。


「お父さんはやっていない」は、通勤途中で痴漢冤罪に会った人間が無実を証明するまでの手記である。この事件は、無罪判決にたどり着くまで2年もかかっている。ここに記されている矢田部夫妻の一文字一句には重みがある。

矢田部孝司は、デザイナーという職を生かした観察力と記憶力で留置場の生活と不安な心理状態を細かく刻み込んでいる。彼は几帳面な性格である。一方、矢田部あつ子は、妻と母親の立場から家庭を通して事件の成り行きを書き綴っている。彼女は強い女性である。同じ事柄を男と女、夫と妻の角度から読める工夫が、ドキュメンタリーと言えどもサスペンス小説を読んでいるようで、飽きることなく先へ先へと進んでしまう。共著の理由は、女性にも読んで欲しいという二人の願いからである。これには私も強く同意する。是非、女性にも読んでいただきたい。

小説には必ず悪役が登場する。ここでの悪役は正義の味方である警官、検察官、副検事、裁判官である。市民による現行犯逮捕だからといっても、証人がいたわけでもないし確かな証拠があったわけでもない。交番での取調べから副検事の態度にいたるまで、始めから矢田部被告を犯人と決め付けているような姿勢が感じられる。

権力を笠に着て横柄に被告人と対する態度は、小説なら許せる。しかし、ここに登場する人物たちは実際に存在し、現在も仕事を続けているのである。このような人物が法を守る側にいることに大きな疑問と憤りを覚える。一つの尊重されるべき人権が不当な権力によって横暴に踏みにじられるのが痛い。

弁護側の提出した書類は、常識では不起訴釈放を指すものであった。しかし拘留期限の日、検察からは「起訴!」の声が下る。一般常識と法律的見解とは必ずしも一致するとは限らないのであろう。この瞬間から矢田部孝司の長い闘いが始まる。

「・・・刑務所に帰る途中、護送車から見えるクリスマスの飾りや、家路を急ぐ女性の姿を見て、今頃、私の帰りを待っている妻のことが思い出された。」

「否認すればなかなか釈放されないというシステムは、無実の者を追いつめるだけの手法としか思えない。この国の司法は、平凡に生きている私たち国民を握りつぶしてしまうほどの権力を、無責任に行使するのである。」と、矢田部あつ子は書く。

矢田部孝司とあつ子を支えたのは法律の力ではない。二人を救ったのは、無実を信じる多くの人たちの情熱である。「痴漢冤罪を晴らす闘いは被告だけによるものではなく、裁判に関わっている家族の闘いである。」と矢田部孝司は言う。支援者たちの支持がなかったら、彼は体も心もぼろぼろに打ちのめされていたのである。友人たちの支援は、強いエネルギーとなって矢田部被告の無実を証明する助けになる。真の友情とは何を意味するのかを痛感させられる。

「お父さんはやっていない」は周防正行監督の手により映画になる。ドキュメンタリー小説が映画になると萎えた作品になることが多い。周防監督の作品が、この著にあるようなパワー溢れるものになることを期待する。

この本は冤罪問題を中心に進んでいく作品である。しかし、私はその中に人間愛の素晴らしさも充分に伝えている作品だと思う。

この場を借りて矢田部孝司、あつ子夫妻には「本当にお疲れ様でした。」と、それから名前が出ていない多くの支援者たちに「ご苦労様でした。」と頭を下げたい。


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