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『明治の音』内藤 高(中公新書)

明治の音

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「西洋人が聴いた日本の文化」

1853年7月、久里浜に上陸したペリー提督に伴って、軍服に身を包んだ軍楽隊が上陸行進の中にいた。このとき日本人たちが初めて眼にした金管楽器や打楽器は、さぞかし煌びやかに映ったであろう。日本初の軍楽隊は薩摩、長州、土佐の藩による軍楽伝習隊で、結成は1869年であった。


目まぐるしく近代化の道を駆け抜ける幕末の日本には多くの外国人が訪れた。この書は、日本の土を踏んだ外国人たちがどのように日本の文化を「聴いたか」を検証している。

近代国家への扉を開けたばかりの日本には珍しい音が生きていた。それを好意的に聴いたか、それとも反好意的に聴いたか、それは聞き手の性格や順応の許容量による。著者はそれらを好意的に受け止めた例と反好意的に感じた両方の記録を載せてくれている。

1863年、スイスの特命全権公使として10ヶ月滞在したエメ・アンベールは、庶民生活に浸透していた音を多く記述している。大道芸人の口上、数多くの物売りたちの歌声、曲芸師の太鼓の音、橋の上に響く下駄の音、荷牛の鈴の音、深川職人たちのさまざまな仕事の音・・・これらはロマンを持った風景を誘い出し、長い間保ち続けた日本文化の美しさを思わせてくれる。

西南戦争の翌年1878年の6月から9月にかけて、イギリスの女性旅行家イザベラ・バードは、通訳の日本人を1人連れて馬と徒歩で日光~新潟~山形~秋田~青森~函館と旅をしている。彼女が聴かされたのは宿屋の騒音で、それは、旅の疲れを休めようというときに襖の向こうから聞こえてくる人の声と宴会の音であった。西洋のホテルでは厚い壁と重たいドアーでプライバシーが守られていたバードにとって、日本の宿屋での生活は不安であったであろう。あるときは穴だらけの障子に囲まれ、そこから覗くたくさんの眼にも悩まされている。外人女性が同じ宿に泊まり、日本の男を下僕として旅をしているのである、注目されるのは当然であろう。

日本を訪れた西洋人たちは能、文楽、歌舞伎、雅楽などを聴いた。西洋音楽の和声とメロディーの調和に慣れていた彼らにとって、日本の音楽は難解な無調音楽に聴こえたのである。1877年に来日、大森貝塚の発見や東京大学で生物学を講じていたアメリカの動物学者エドワード・モースは、「この国民は音楽に対する耳を持っていない」と書き、雅楽に関しては「薄気味悪く」「日本古有の音楽は全く見当がつかない」と印象を語る。

子音が短く母音が長い日本語に関しても興味深い記録がある。言葉を強調すれば母音だけが残る日本語を、バードは「野蛮人の間に入っている気分になる」と表した。そう言えばクラシック音楽の演奏でも、母音だけで伸びるような音の出し方は心地よく聞こえてこない。

ペリー提督に同行したドイツの画家ヴィルヘルム・ハイネの記録によると、軍楽隊によって演奏された作品は、アメリカ的で聴きやすいものであったとある。下田の町には評判の楽隊を聞くために多くの人たちが集まったが、ペリー提督が楽隊なしに上陸すると、集まった人々は、是非とも今度は楽隊を連れてきてくれと手振りで知らせたという。日本人が音楽好きであったという報告は日本各地で記録されている。珍しいものが好きな日本人、新しい文化に惹かれる日本人、臆すことなく身振りで提督に直訴する勇気ある日本人がここに見える。

モースは1877年から83年まで日本に滞在したが、その間、彼は日本での西洋音楽を聴いた貴重な耳になっている。初来日の際には「まったく見当がつかなかった」日本の音楽も、訪日を重ねるに従って「風の吹く日に森で聞こえる自然の物音に、山間の渓流が伴奏している」と、日本の音を心で聴くようになる。モースは、自らを日本文化に馴染ませようと茶の湯の稽古を始め、日本で習い事をした最初の外人になっている。

1882年には本郷に西洋音楽を教える学校が建築され、アメリカ人の教師ルーサー・メーソンの指導を受けた生徒たちによる公開演奏会が開かれた。陶磁器収集のために再来日していたモースが、この演奏会を聴いている。「この国民は音楽に対する耳がない」とまで評したモースは、この演奏会で小坂三吉(5歳)のピアノ演奏を聴き、「鍵盤に手が届きかねる位だが、著しい巧妙さをもって」と、彼の神童ぶりに感心している。モースは同じ演奏会で管弦楽の演奏も聴き、これも「まったくうまく演奏した」と褒めている。4年前にはお粗末と評した軍楽隊もここでは「極めて正確に演奏した」と記し、「我々の音楽に関しては、(日本人は)単に練習が必要だったのだ」とまで言っている。日本に軍楽伝習隊が結成されてから13年、日本における西洋音楽の未来をモースが聴いたのである。

これは日本にあった音が西洋人に与えた印象を読む本であるが、日本の歴史を音で「聴く」本でもある。耳を澄まして郷愁を楽しみたい読者にはもってこいの本だと思う。


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