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『わたしは血』ヤン・ファーブル著、宇野邦一訳(書肆山田)

わたしは血

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[劇評家の作業日誌](24)

胸倉を鷲づかみにされ、激しく殴打されるような感覚に襲われた。甲冑を身にまとった男たちとウェディングドレスに包まれた女性たち。だが彼(女)らは耽美的に舞台にいるわけではなかった。拷問に近い肉体の酷使、目を覆いたくなるような残酷シーンの連続。全裸に近い女性の剥き出しの肉体は猥褻と紙一重であり、日本人観客はそこから何を感じ取り、何を思ったことだろう。

この二月、彩の国さいたま芸術劇場に来演したヤン・ファーブル作・演出『わたしは血』は、それほど挑発に満ちた舞台だった。今の日本に果たして「挑発」が成立するかはさておき、この舞台を形容するとき、どうしてもこの言葉を使ってみたくなるのだ。

この来演を機に、同名の書籍が刊行された。だがこれは、戯曲=上演テクストというより、詩とも散文ともつかぬ、独特のテクストなのだ。おそらく作者は、詩のようなものをノートに書き付けるところから創作を始めたのだろう。そしてこのテクストをもとに上演を構想したのだと思われる。ただし舞台は物語に沿って運ばれず、言葉はセリフとして語られる場合もあれば、まるでナレーションのようにマイクで語られることもある。ある意味で、形式を逸脱した自由度の高い言葉の集積、それがこの本の特徴なのだ。それはアントナン・アルトーの黙示録的な文章を連想させ、ハイナー・ミュラーの散文風の上演テクストにも似ている。戯曲や台本というものと明らかに一線を画すものであることだけは確かだ。

このタイトルには「中世妖精物語」という副題が付してある。「妖精」はアイロニーだとしても、「中世」はこの舞台の本質を言い当てている。作者のヤンは本書で繰り返しこう述べている。

今はイエスキリスト生誕から/二千年である/そして私たちはあいかわらず/中世に生きている

彼にとって「中世」とは決して過去のことではない。現在の足元を掘っていくと、ごく自然に「中世」の入り口に行き着いてしまう。現在と中世は隣り合った時間帯なのだ。

そして私たちはあいかわらず/同じ体で生きている

中世から現在を貫く時間、そしてそれを一貫して受け容れてきた肉体。ここに、このアーティストの思想のエッセンスが凝縮されている。

「血」から見た人間の歴史。ヤン・ファーブルの思想を要約すればこうなるだろう。「血は命であり」、人間は他人の血を吸って生き長らえる一種の吸血鬼に他ならない。血はDNAとして継承され、連綿と続く人間の歴史を保障する。「未来ノ体ガ/私ノ中ニアル」のは、その故である。だが、肉体に充足できないのも、また人間の宿命である。「血は私の赤い湿った身体」であるとともに、「赤い湿った反身体」でもあるのだ。したがって、「私は世界に輸血したがっている」。そのために「私は開く」。この後、詩文は人間の臓器を数頁にわたって羅列していく。「前頭静脈」から始まって「前頭動脈」「側頭静脈」「側頭動脈」等々を切り刻むのである。噴出した血の洪水は、かえって人間の邪念を取り除くだろう。

『わたしは血』は、2001年、フランスの名高いアヴィニョン演劇祭で初演された。上演されるや、この舞台の評価は真っ二つに割れた。聡明な実験か、それとも快楽的な暗黒主義をただただエスカレートさせたものなのか。だが、わたしは表面的な残酷さの中に「倫理的」なものを感じた。徹底した行為の反復は、次第に行為そのものの意味を変形させ、観念にまで昇華させていく。そこに見えてくるのは、現在の世界を覆っている危機や道徳、倫理の衰退であり、人間自体が損傷されていることへの警告である。アンチヒューマニズムの暗黒を装いながら、その底に楽天的なユーモアとそれを支える人間を肯定する感情が手触れる。

いったい、ヤン・ファーブルとは何者なのか。

実は、わたしが日本人以外のアーティストで一番気にかかっていたのが、他ならぬヤン・ファーブルだった。彼は『昆虫記』で有名なアンリ・ファーブルの曾孫である。そして彼は今、世界のアート業界の最高のタレントの一人であり、世界各地で彼の作品の展示が開催されている。ヤンは舞台演出家でもある以前に美術家なのだ。わたしがこのアーティストに最初に出会ったのは、今を遡ること20年前のことだった。1986年、ヤンは最初の日本公演『劇的狂気の力』(The Power of Theatrical Madness)を行なった。この舞台は当時のわたしに鮮烈な印象を残した。それはこれまで見たことのない類の舞台であり、ベルギーからやって来た若干28歳の若者のラディカルな表現に、わたしはすっかり魅了されてしまったのである。

ところで、この舞台の招聘にまつわるエピソードも、わたしにとっては思い出深い。彼が来日する2年前、福島県桧枝岐(ひのえまた)村で第一回「パフォーマンス・フェスティバル」が開催された。このフェスをきっかけに集まったアーティストや批評家たちがゆるやかなネットワークを形成し、以後、持続的な集まりや小さな研究会、シンポジウムが積み重ねられた。日本のマイムの創始者である及川広信と「肉体言語」の編集に携わっていた福島大学の星野共が中心となり、これに美術家でパフォーマーの浜田剛爾、池田一、ガリバー(安土修三)、映像の飯村隆彦、マイムの武井よしみち、詩人の鈴木志郎康、哲学者の粉川哲夫らが関わっていた。演劇では、解体社清水信臣、モレキュラーシアターの豊島重之、テラ(現:テラ・アーツ・ファクトリー)の林英樹らである。ダンスの勅使川原三郎もこのフェスを通じて世界に飛び出していった。言ってみれば、その道の大家とこれから大きく羽ばたこうとしている者たちが、この場を介して出会い、切磋琢磨していく稀有な場が出来上がったのである。もう20年も前だから、わたしもまだ30代になったばかりで、演劇をもう少し広い視野から捉え返したいとしている最中でもあった。

そんな集まりの折に、ベルギーからこんなビデオが届いているけど一緒に見ないかという提案が誰かから出された。当時まだバブルの前で、海外のアーティストの来日は珍しかった。しかも若い無名の前衛的な表現は興行性にも乏しく、敬遠されがちだった。ところが十数人で見たビデオは、たちまち皆を虜にした。誰からともなく、これは行けるんじゃないかと声があがり、どうしても招聘しないわけにはいかないぞという気運につながっていった。当時、こうした芸術運動を支援してくれていたシュウ・ウエムラ--彼は化粧品の製造元だが、なによりもアーティストだった--は招聘公演を快諾してくれた。まだ無名だったヤンを呼ぶことを、こんな偶然とメセナ以前の「パトロネ―ジ」が可能としてくれたのだ。

ヤン・ファーブルは、当時のヨーロッパで一種の「アンファン・テリーブル(恐るべき子供)」的な存在だった。彼の公演はあまりに暴力的すぎて、しばしば公演中止を余儀なくされた。台詞もなく身体だけの動きで構成される舞台は、従来の演劇の概念から大きく外れ、まさに「パフォーマンス」としか言いようのない「越境性」を内在させていた。だがそれこそが、桧枝岐グループが探っていた志向性と合致し、鋭く共振したのだ。

この公演の反響は予想外に大きかった。いやむしろ、スキャンダラスと言っていいかもしれない。例えば、公演の二日目にこんなことがあった。初日を見たある高名な演出家は、「こんなもの演劇でない!」と腹を立て、翌日の公演に若い劇団員を送り込み、公演中の舞台になんとトマトを投げさせたのだ(残念ながらわたしは実見していない)。こんな過激なリアクションを引き起こすほど、この舞台には「挑発」的な何かがあったのだ。それから20年が経ち、昨年、同演出家は、今度は芸術監督の権限で彼の舞台(『主役の男が女である時』)を自分の劇場に招聘した。その演出家とは、蜷川幸雄その人である。そして今年も再度ヤン・ファーブルの過激なパフォーマンス『わたしは血』を招聘したのだ。観客の中の保守性を攻撃し、世界で今起こっている事態の真っ只中に観客を連れ出していくヤンの姿勢に、蜷川氏は自分と同質の志向性を見てとったのだろう。もはやここまでくれば、二人は立派な「共犯者」である。

昨年、ヤン・ファーブルの戯曲『剽窃王』が初めて翻訳された(「シアターアーツ」05冬号)。また、彼についての著作の翻訳も進行中であるという。近い将来、彼の全貌が日本人のわたしたちにも知られるようになるだろう。

ヤン・ファーブルという存在はどこにも属しようのない独自のジャンルを形成している。そして、今もなお、過激な挑発で観客の意識を逆撫でし、警鐘を鳴らし続けているのだ。

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