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『物語 マニラの歴史』ニック・ホアキン著、宮本靖介監訳、橋本信彦・澤田公伸訳(明石書店)

物語 マニラの歴史

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 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 こういう本を、どう評価していいのかわからなかった。だから、某新聞社から書評を頼まれたときも、引き受けることができなかった。本書は、「監訳者あとがき」によると、著者ホアキンが「一九八八年、当時マニラの市長代理だったヘミリアーノ・C・ロペス(Gemiliano C. Lopez)からのマニラ通史の執筆依頼」を受けて、1年足らずで書きあげたものである、とのことである。「ロペス氏は以前から、全国からマニラに集中する多種多様な若者たちの心に、マニラに対する市民意識と誇り、何よりも愛情(郷土愛)を育みたいと願っていた。そのためにマニラ、さらにフィリピンの青年子女たちに親しまれる「マニラ風土記」のようなものが必要だと感じていた」。


 読者は、「マニラ、さらにフィリピンの青年子女たち」を想定していたことがわかる。つまり、学校教育では、充分に伝わらない郷土(マニラ、さらにフィリピン)を誇りに思える歴史叙述を試みた、ということだ。その著者とロペス氏の目論見は、たぶん成功しただろう。「幼年時から生涯を通して親友」であったショニール・ホセ氏が「読みごたえのある名著である」と評しているように、日本語訳にある「物語」性をいかして、読み物としておもしろいものになっている。「徹頭徹尾、庶民的な目線で捉えた」という点からも、親しみを感じる。


 だが、日本人の読者は、本書をどのように読めばいいのだろうか。本書は、あくまでもフィリピン人が学校教育で学ぶフィリピン史を理解したことを前提に書かれている。「少々アルコール依存症気味」のジャーナリストの書いた歴史物語を、フィリピン通史を満足に知らない日本人読者が読めば、誤解してしまうかもしれない。ここで、個々の事実をとりあげても、生産的な話にはならないだろう。大まかなことを、すこし取りあげてみよう。


 まず、スペイン来航以前のフィリピンについては、学問的によくわかっていない。文献資料はほとんどなく、考古学的な研究などによるしかないからだ。本書でかなりのページを割いて書かれていることは、ほとんど想像によるものでしかない。フィリピン人は、それがわかったうえで読むのだろうが、日本人は歴史的事実としてとらえてしまう。マニラには、フィリピンの歴史を概観できるアヤラ博物館がある。レイナルド・イレートなど一流のフィリピン人歴史研究者が監修した60のジオラマからなる歴史上のシーンの内、最初の6つは考古学的成果によるもので、本書に出てくる10~15世紀の王国の話はまったく出てこない。


 本書を読むと、「マニラの歴史」なのか「フィリピンの歴史」なのか、わからなくなってしまう。実はそこが問題で、フィリピンの歴史学界・教育界は、いまこの問題に苦慮している。本書が書かれた1988年当時はそれほどでもなかったが、いまは南部のイスラーム教徒などを含めた国民統合のための歴史を模索中である。マニラ中心史観は、フィリピン共和国という国民国家の歴史としてはふさわしくない、という考えが強くなってきている。


 日本人として、本書から学ぶ第1のことは、日本にかんする記述が多いことだろう。16~17世紀にマニラに存在した日本人町について1節(6頁)を割いて記述し、1941~45年の戦争中の記述は、5節(44頁)にも及んでいる。そして、日本占領期の記述は、フィリピン史上最大のできごとであったフィリピン革命(1896~1902年)の記述と並んで、もっとも活き活きとした描写が続き、著者の本領が発揮され、読者を釘付けにする箇所である。そのほかにも、日本や日本人が思いがけないところで登場し、フィリピンの歴史にいかにかかわってきたかがわかる。その意味で、本書は日本人が読むべき本であるということができるだろう。


 それでも、まだ、わたしは、この本をどう評価していいのか、わからないままでいる。

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