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『越境の時-一九六〇年代と在日』鈴木道彦(集英社新書)

越境の時―一九六〇年代と在日

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[劇評家の作業日誌](26)



本書は「1960年代」という時代と「在日問題」、そして「越境」をテーマとしている。なぜこの三つが結びつくのか。それが本書を読み解く鍵となる。

著者・鈴木道彦氏はプルーストの『失われた時を求めて』の翻訳で知られるフランス文学者だ。本書は著者がなぜフランス学者になり、プルーストを論じるようになったかが回想記として記される。文学にとって作品を創造するとは、個人的な問題関心にとどまらず、「自己を乗り越え、他者の意識に開かれてゆく過程を描」くことであり、「他者の魂との交流を求める」(13頁)ことである。

その氏がなぜ「在日」問題に深く関わるようになったのか。1960年代に「在日」の問題が、2つの事件をきっかけに浮上した。その1つは1958年の「小松川事件」として知られる女子高生殺害事件だ。その犯人李珍宇(リ・ジヌ)が「在日朝鮮人」であったことが発端となり、この問題はやがて、その10年後の金嬉老(キム・ヒロ)事件に通じていく。1968年2月20日、金は清水市のキャバレーでライフル銃による発砲事件を起こした。寸又峡の「ふじみ旅館」に人質をとって篭城し、警察署の理不尽な扱い、差別の謝罪を求めたのである。

氏は前者に関しては犯人の手記などを読み、後者に関しては実際に救援活動を行なった。この1958年から68年の10年間には看過できない二つの歴史的事件が起こっている。一つは1965年の「日韓条約」であり、もう一つは1963年に開始されたヴェトナム戦争だ。一見無縁に見えるこれら二つの出来事は氏のなかで緊密に結びついていく。

留学生時代の1960年にアルジェリア独立戦争を間近に見たことは、旧宗主国フランスと祖国日本を結びつける契機となった。ここでアルジェリアの位置に相当するのは韓国・朝鮮だ。アルジェリアは確かに「遠い国の出来事」(42頁)に見える。だがそれを他人事とみなせるか。そうではないだろうというのが、著者の「物を書く人間」としての前提、言い換えれば、知識人の「倫理」である。

『在日』の人々は私の目に、戦前戦後の日本によって生み出された矛盾をことごとく身に負わされた存在のように思われた。(48頁)

彼らは貧しさゆえに日本に移住を強いられ、日本社会のために不当な労働を強制された。戦後になって満足な保障も得られず、解決を見ることなくウヤムヤにされた。それが朴正熈大統領の国内向けの政治的駆け引きと日本政府の思惑によって結ばれた「日韓条約」である。その歪みは「在日」の個々の生活史に色濃く痕を残していく。それゆえ、「李珍宇という人物を作り出したのが日本社会であることを、強く意識せざるをえなかった」(65頁)と著者は語るのだ。

この本のタイトルに「越境」という言葉が置かれている。自分と他人の間には踏み込めない「境界」が存在する。しかも日本と韓国・朝鮮には歴史的に越えがたい一線が引かれている。例えば、ある日突然「チョーセンジン」と呼ばれた青年は、それまで気づかなかった自分へのまなざしを知る。彼は普通に日本語で育ち、日本名を名乗り、日本の共同体社会で生きてきた。だが、彼が日本国籍でなく、朝鮮籍であることを知ってから、どうしようもない差別と偏見に直面する。彼は日本社会から「他者」として括り出されたのだ。これは「小松川事件」の加害者、李珍宇についての記述である。

同様の経験をした者にジャン・ジュネがいるのではないかとフランス文学者は連想する。彼はある時、「お前は泥棒だ」と言われて激しく傷つき、共同体社会から追放される。その後、ジュネは万引き、窃盗、などありとあらゆる犯罪に手を染め、監獄体験を繰り返す。そして彼は自分を受け容れない社会に向けて、徹底的に抗戦するのだ。それが彼の「犯罪」である。李もまた、犯罪者になっていく。それは個人の犯罪に他ならないのだが、それは決して彼個人の問題に留まらない。むしろ彼は日本社会が生み出した犠牲者=「他者」ではないか。そう著者は自問するのである。

「他者」はこの本のもう一つの主題だ。現代社会の危機を論じた本の多くは、他者の不在を指摘している。人間関係の機能不全、国際的な戦争や植民地問題、果ては「いじめ」や「引きこもり」にいたるまで、いずれも他者との折り合いの悪さ、困難さが論(あげつら)われる。では、どうすればこの問題が解決できるか。

他者との本源的な解決はありえないとして、最善策を考えなくてはならない。それが「越境」なのだ。著者はこう書いている。

私には、事柄に関心を持つためにはまず共感が必要だった。また共感がある限り、相手の実存にまで踏み込むことも可能に思われた。たとえ抑圧関係によって隔てられていても、その境界は越えることができるのではないか。いわば「越境」も可能ではないか。(69頁)

「越境」のなかに和解を見る。他人の領域に踏み込むなかに、個では解決できないより共通の問題点に触手する。その手がかりの一つに「集団」の可能性を著者は見ている。

わたしが本書で興味を覚えたのは、金嬉老への呼びかけを組織する「金嬉老を考える会」という存在だ。在日朝鮮人が引き起こした事件を単なる「猟奇的」なものとして見るのではなく、それ以上の思想の問題として捉えようとした時、急遽、韓国・朝鮮研究者を中心に動きが生まれた。事件当日、中国研究者の中嶋嶺男、伊藤成彦金達寿らが「人質解放」を呼びかけるために銀座のホテルの一室に集まった。この集まりは意外な方向に展開していった。そのなかから金嬉老支援サークルが出来、そこに多くの文学者、大学研究者らが参画した。そのなかには教育学の三橋修や里見実なども関わった。もちろん著者の鈴木道彦氏も含まれた。

各自が自分の時間をやり繰りして、いわば手弁当方式に関わっていく。それは自発的な運動だから当たり前のことなのだが、実際こうした手間暇かかることは、集団や運動の自壊を招きかねない。つねに自分たちの原点に立ち返ること、決して運動のプロにならず、「素人」である自分から出発すること。そのことが、実はこの種の問題に取り組む根底に関わってくるのである。

そのなかで、「『私』という主語ではなく、『われわれ』という主語で責任ある文章を書くことがどこまで可能なのか?」(216頁)という問いの前に立たされた。集団で文書を起草することが確認されたのだ。これは一見簡単そうに見えて、これほど困難なことはない。それをウヤムヤにして、やり過ごしてはならない。

当時は全共闘運動の盛時である。個々の問題から始まって、それが普遍的なレベルに直達すること。狙っているところはさほど変わるわけではない。ただ全共闘世代よりおそらく一世代上の者たちは、彼らと違う方法論で闘っていたのだ。この集団論は繰り返し立ち返らなくてはならない原理だろう。そのドキュメントとしても興味深い。こうして長い裁判闘争を経て、金嬉老は釈放され、帰国した。

この経過を著者は自分の問題として語っている。実は事件が起こったのは、著者がフランス留学を数日後に控えた日であった。やり過ごすこともありえただろうが、それを引き受けることにしたのは、やはり彼の選択だった。文学者が犯罪の現場に関わることは、一見、部外者の手慰みのように思われかねない。そこにどう「責任」をとるのか。個人の営みである「文学」行為--作家活動、批評活動、研究活動もひっくるめて--のエチカがここに見出される。それは存在の深部から発せられる言葉だけに、わたしは人間の存在に関わる抜き差しならぬ問題に直面させられたのだ。

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