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『ベケット巡礼』堀真理子(三省堂)

ベケット巡礼

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[劇評家の作業日誌](37)

演劇とは旅に似ている。あるいは旅こそが演劇のメタファーなのかもしれない。人々は冒険の旅に出る。そこで出会った者たちと対立が起こり、決定的な行為がなされ、劇が生れる。これがいつに変わらぬ演劇の原型だとすれば、旅する者たちの内的葛藤が演劇を形づくるのだろう。

ここに一人の劇作家の旅を追ったドキュメントが研究者の手によって書かれた。題して『ベケット巡礼』アイルランドに生まれ、パリを拠点に活動した二十世紀最大の問題的な劇作家サミュエル・ベケットについての書物だ。本書はこの劇作家の足跡を旅行記風に記したものである。

スコットランドの演劇祭で有名なエディンバラに始まり、生地アイルランドを訪ね、修業時代を過ごしたロンドン、師を求めたロシアを経巡り、生活の場でもあったフランス、演劇の実践と関わったベルリンを探索し、そしてやすらぎの場としてのポルトガルに行き着いた。実際に足を使って取材しただけに、各地でベケット作品の鍵を握る宝物に偶然出くわした。例えば、たまたま留学したロンドンで、ベケットが通っていた病院を発見した。こうした経験が著者と劇作家の距離を近づける。ベケットゆかりの地を確認するだけでなく、むしろ戯曲創作の発想の根源に迫ろうとすることが、旅の必然性を読者に納得させる

のだ。なぜ著者はベケットを求めて旅しなくてはならなかったのか。それが先述した「ドキュメント」(事実、記録)性の所以である。

著者はそれを松尾芭蕉の『奥の細道』になぞらえている。考えてみれば、余剰をとことんまで切り詰めたベケットの作品は、五七五という言語形式に凝縮した俳句に似ている。それが著者の連想を呼び起こすのだが、それはあくまで本書の副奏音であって主旋律ではない。ただベケットから「旅」という主題を嗅ぎ付けたのは、芭蕉との連想があったことは間違いなかろう。著者は空間の移動だけを「旅」と考えているわけではない。ベケットの劇中人物には動けなくなった人間がしばしば登場する。だが彼は動けないがゆえに、想像の中ではさまざまな「旅」を敢行している。それは時には過去への探索かもしれない。自由に連想を羽ばたかせ、一つところに留まらずにつねに移動し、さまざまな事物との出会いを繰り返すなかで、思考が刻み付ける痕跡。それは「創作」と同義ではないか。つまり創作することは思考の旅でもあると著者は考えるのだ。

 

ベケットといえば、『ゴドーを待ちながら』(以下『ゴドー』)である。1949年に書かれたこの戯曲は、4年後にパリの小劇場バビロン座で初演された。この時のエピソードはとくに興味が尽きない。

ゴドーを待ちながら』の初演のある日、劇場で大騒ぎが起こった。ラッキーの独白が終わると観客の一部がブーイングをし、幕間で抗議者たちと支持者たちがとっくみあいのけんかをはじめたのである。さらに2幕目になると抗議者は足を踏みならした。それが話題になり、噂が噂をよんで、『ゴドー』を見ようという観客がバビロン座に殺到した。賛否両論だったとはいえ、こうしてこの舞台は少なくとも興行的には大成功だったのだ。場末の映画館を思わせる劇場での公演がこんなに話題をよぶとはだれが想像できただろうか。(195頁)

その後、瞬く間に世界中に広まっていった『ゴドー』だが、ベケットはこれを小説執筆の合間の「息ぬき」に書いた。パリは、「ヌーヴォーテアトル」の発祥地であり、新しいものを求める気運がこの街に漲っていたことを著者は指摘している。前衛的な実験を求める気運というものがなければ、ベケットの小さな実験は果たして見出されただろうか。ベケットの成功は偶然性に支えられていたのだ。

本書で新鮮だったのは、ベケットの思想として「人道主義」的な側面に光を当てた箇所である。一般にベケットの作品はニヒリズムが流れていると見なされがちだが、本書で紹介されているいくつかのエピソードはその定説を覆す。その代表例がチェコの劇作家で後に大統領にもなったヴァーツラフ・ハヴェルを支援した逸話であろう。アヴィニョンの演劇祭でベケットは、ハヴェルに『カタストロフィ』を書き下ろした。窮地に陥った作家に創作を提供することで、彼への友愛と連帯の情を示した。また1993年、ボスニア戦争のさなかのサラエヴォで、アメリカの批評家スーザン・ソンタグは『ゴドーを待ちながら』を演出した。ソンタグは惨状にあったボスニアで何をすれば人々の励ましになるかを考えた時、『ゴドー』の上演に思い至った。なぜ『ゴドー』だったのか。それはこの作品のなかにベケット人道主義が反映されていると彼女が考えたからだ。

サン・クエンティンの刑務所で『ゴドーを待ちながら』を上演したさい、難解で知られるベケット作品が、意外にも、囚人たちに受け入れられた。「不条理の作家」と呼ばれ、難解で知的エリートに独占されかねないベケットの言葉が、「社会のどん底にある人間たち」(253頁)に見事に届いたのである。「社会ののけ者とされる人たちの視点でものをみ、作品にしていた」ベケット。今日の暴力にさらされた者たち、その象徴が『ゴドー』のラッキーであろうが、そこにベケットの視線が据えられていた。

日本の演劇、とりわけ小劇場に与えた『ゴドー』の影響もはかり知れない。アングラの初期作品にどれだけ『ゴドー』の変奏を見てきたことか。唐十郎鈴木忠志別役実佐藤信らは、ベケットの洗礼を浴びることから60年代の「演劇革命」に着手していったといっても過言ではない。そして90年代の鴻上尚史の上演を経て、2000年に蜷川幸雄の女性版『ゴドー』が出現するに及んで、ついに『ゴドー』の変奏もここまで来たかという感を持たされた。その蜷川版が原作を著しく逸脱しているということで、ベケットの遺産管理人から、二度とベケット作品を上演してはならぬというお達しを受けていたエピソードも紹介されている。

母語英語のみならず、フランス語の二ヵ国語で執筆し、さらにイタリア語、ドイツ語にも通暁していたというベケット。彼にとって言語とは距離であり、自由に書けないことを前提にしている。ベケットの劇作は芸術家特有の脳髄から湧き出るイメージをペンで書きつけることではない。その逆に、書いては消し、消しては書くことの連続だったろう。だからなるべく「少なく書くこと」を己れに課し、「少ないほど多くを語れる」(180頁)としたのではないか。その意味で、ベケット作品はきわめて人工的に構築されたものであり、「頭蓋のなかで言葉を思考する」(310頁)というフレーズこそ、ベケットにいちばんふさわしいようにわたしには思われる。

それにしても、ベケットは謎の人物だった。生前、あまり人前に出ることを好まず、写真も数少ない。また自分の許したライターにしか自分の評伝の執筆を許可しなかった。どこか彼に神秘的なイメージがつきまとうのは、こうしたエピソードに負うところが大である。だが実際の彼はどうだったのか。もちろん真実など誰にも分りはしない。とりわけ作家の真実など誰も特定できないだろう。だから最善の道は、実際にあった事実を博捜し、それを記すことである。

ロンドンに赴いた著者はユングの講演に立ち会ったベケットから、無意識に宿る不安を追求した精神分析家とベケットの相関性を推測する。理解不能なものに対するユングベケットには共通するものがある。エイゼンシュテインに傾倒したベケットからロシア・サンクトペテルブルグへ誘い、映画へのベケットの関心が彼の演劇にとって重要な導線であることを明らかにする。パリでポン引きに背中を刺されたエピソードから、パリの雑踏のなかでのベケットの孤独に言及する。ポルトガルベケットの結びつきは奇異なイメージを与えるが、このリスボンの地に生まれたポルトガルの国民的詩人フェルナンド・ペソアがその鍵を握っている。両者に同質性を見ていることは明らかだ。ベケットリスボン滞在中、ペソアの詩を読んでいたはずである。

著者の旅は、ベケットの生涯と思想のディテールを丹念に集めることにあったのかもしれない。その手間隙のかけようは半端ではない。労力と時間と金を十分すぎるくらい投じている。その成果が本書に結実した。結局、ベケットの旅は著者自身の旅でもあったのだ。

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