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『凛と咲く なでしこジャパン30年目の歓喜と挑戦』日々野 真理(ベストセラーズ )

凛と咲く なでしこジャパン30年目の歓喜と挑戦

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「<劇評家の作業日誌>(58)」

今夏に開催された女子ワールドカップ(以下W杯)で日本女子サッカーチームは初めて世界一に輝いた。この快挙は日本中を熱狂させた。女子サッカーがこれほどまでに注目を集めたことはかつてなかったし、ましてや社会的事象になると誰が予想しえただろう。


日本女子サッカー代表、通称「なでしこジャパン」は、2004年に命名された。「なでしこ」のように凛と咲いてほしいというのが命名の理由だが、当時では華やかというより、地道に進んでいこうという意味の方が当てはまる。初めて代表チームが結成されたのが1981年、今年でちょうど30年目を迎える。その節目の時に今回の壮挙を成し遂げた。

「小さな女の子たちがでっかいことをやってのけた」と試合後に語った佐々木則夫監督の言葉にもあるように、体格の優る欧米選手に対して、気迫溢れるプレーを見せた彼女らの「けなげさ」に心を打たれた人も少なくなかったろう。わたしもまた例外ではなかった。

現地で徹底して取材した一人の女性ジャーナリストが著わした本書は、外側からでは決して見えてこない部分を明るみに出した。それはつねに浮き沈みのあるチームの心理であり、いつバラバラになってもおかしくないチームの内面だ。そこには多く語られることのなかった女子サッカーの苦難の歴史があった。1989年、全国規模のLリーグが発足したものの、景気の動向に左右されて有力チームが解散に追いやられるなど、男子サッカーとは比べ物にならないほど困難な道を歩んできた。

「大好きなサッカーをしたい」。ただ単純にそう願っているだけなのに、女子選手にはプレーする環境が整っていない。(18-9p)

劣悪な環境にあった女子サッカーは、つねに結果を求められてきた。いい試合をした、ではすまされない。結果を残して女性サッカーを世に知らしめるという「重い」荷物を背負わされてきたのだ。

「日本の女子サッカーの発展のために、結果を出さなければならない。」(114p)

これはなでしこたちに受け継がれてスピリットであり、一種の「社是」のようなものだ。

目標値も高い。男子のようにW杯一回戦敗退などなでしこには許されない。その結果は、彼女らの存亡に関わってくるからだ。だからこそ摑みとられたのが今回の偉業なのだ。

ただし彼女らの言動や振舞いを見る限り、この苦難を想像する者は少ない。決して表に出さず、明るく振る舞う彼女らには、天性の明るさと辛さを表に出さないプライドが備わっていた。

本書の見所は、W杯の美しい記憶をたどっていく観戦記事の部分と、なでしこたちの「人間のドラマ」に二分される。とくに後者で著者が着目したのは、MF宮間あやの以下の言葉だった。

「今大会が優勝で終われたことは誇らしく、嬉しく思う。しかし(選手)それぞれに違った思いがあって、全員がピッチに、持てるものすべてを置いてきた結果が優勝です。」(10p)

「それぞれの思い」とはチーム一人一人が必ずしも同じ意識でなかったことを意味している。そしてW杯に賭ける思いもまた「それぞれ」であって、安易に一体感や仲良しグループといったものと一括りにできない。こうした視点を手に入れた時、著者は単なるサクセスストーリーとは違った人間ドキュメントを書くにいたったのだ。

本書を読みながら、サッカー好きならこの夏の波乱万丈の熱戦を心地よく反芻したことだろう。

エースの永里優季の頭脳的なシュートで幕明けたものの、その後、イージーなミスで同点に追いつかれ、宮間の鮮やかなFKで辛うじてものにした初戦。澤穂希ハットトリックで快勝したメキシコ戦。呆気なくグループリーグを突破したなでしこジャパンだが、次のイングランド戦では手も足も出ずに完敗し、暗雲が立ち込めた。この直後の練習では、ムードが最悪になったという。

決勝トーナメントの初戦は地元で前回優勝のドイツ。避けたい相手との試合だった。なでしこのハードルはここでぐっと上がった。耐えに耐えた試合も延長に入り、後半3分の丸山のシュートは今思い返しても胸のすくシーンだ。早朝のTVにかじりついていた日本人サポーターは大声を出して喝采したのではなかろうか。準決勝のスウェーデン戦は、最初の失点こそ手痛かったものの、その後の取り返しは見事で、とくにゴールキーパーを嘲笑う川澄奈緒美の超ロングシュートは、彼女を一躍にスターダムに押し上げた。

決勝の米国戦を観た者は、予測を超えるなでしこの奮闘に勇気づけられる思いを抱いたことだろう。強豪相手でも、チームが1つになれば、相当なことが達成できる。TVで延々と続く表彰式というエピローグを観ていて、時間を忘れてなでしこの快挙に浸っていた。

数ヵ月前の記憶が次々と甦ってくる。ライターの能力は言葉によって情景を鮮やかに再現してみせる文章力だ。だがこの著者は、アスリートの心の襞までインタビューで分け入る。彼女らも、著者に心を開いて、ざっくばらんに飾らない言葉で心境を語ってくれる。あの時、本当はどうだったのか、これは外部のあずかり知れぬ領域だ。そこで多くの宝のような言葉を著者は選手から引き出す。

「誰ひとりとして、今回浮かれてない」(190p)とは、フィーバーに湧き返る直後の宮間の言葉だ。冷静なプレー同様、彼女の言葉は頼もしい。何ができて、何ができなかったか。その冷静な分析は、彼女ら自身が一番わかっている。

なぜ彼女らは一つになって戦うことができたのか。

なでしこの面々は、ある意味で、「超」がつく個性派揃いでもあった。なかでも我が強く、独自のサッカー哲学をもつ永里優季はある意味でもっとも難物だった。TVインタビューでも彼女だけは少し違う次元を生きていた。人一倍自分のヴィジョンを大切にする彼女は、大会で大きな活躍ができなかった。人気者になった川澄にすっかり座を奪われてしまったのだ。才能では群を抜く彼女だけに悔しさはひとしおだったろう。

そんな彼女を宥め、チームの中から孤立させないように心を配ったのが宮間だった。彼女はドイツ戦の試合後、勝利に沸くチームメイトと裏腹に、交代させられて号泣する永里にすっと駆け寄り、手をとって一緒に歩き出したという。どんな集団にも当てはまることだが、一触即発のギリギリの線上でチームが機能するとき、それがまた起爆力になる。その「つなぎ」役を担ったのが宮間あやだった。こうした「いぶし銀」的存在に光を当てたのが、本書の隠れたファインプレーである。

宮間あやは両足を自在に使いこなす絶妙なパサーである。彼女のプレーで一番感心させられるのは、周囲より一つ前で判断を下しているクレバーさだ。彼女のパスはためを作るより前に出されている。あっさりし過ぎるくらい淡白だが、これが味方プレーヤーにぴたりと合う。その時、このタイミングしかなかったのだ、ということを知る。おそるべきサッカーセンスだ。ふてぶてしいまでの態度は、すでに地元岡山湯郷ベルではすっかり人気者だ。

そんな超個性派の「さまざまな思い」を導き出せたのは、ごくわずかな取材者しかいなかった頃から見続けてきた著者のキャリアのなせる業だ。彼女もまたチームの一員だ。その思いがようやく結実した。「その時」に出会えた喜びが本書に溢れている。なでしこが勝ち進むにつれて取材申し込みが殺到する。眠る時間を削っても、それに優る喜びがあった。本書の最後は、こう締め括られている。

「最後に……。なでしこジャパンのみなさんへーー

世界で一番素敵な場所に連れて行ってくれて、本当にありがとう。

そしてこれからもよろしくね」(195p)

 

なでしこフィーバーはいつか終わる。問題はその先だ。ロンドン五輪の出場を決めたが、これからは「追われる立場」だ。なでしこリーグは順調に船出したものの、試練はさらに増すだろう。ただし、それは一つ次元の上った試練として。

著者はこれまで同様、なでしこを見続けるだろう。なでしこジャパンの魅力をさらに引き出す彼女の筆致にも期待したい。

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