『午前4時、東京で会いますか?-パリ・東京往復書簡』シャンサ、リシャール・コラス(ポプラ社)
「越境という生き方」
パリに住む作家と東京にいる作家が往復書簡を交わすというのは、
取り立てて珍しいことではないかもしれないが、
在パリの作家が中国人女性で、在東京のほうがフランス人男性となると、
にわかに謎めいてくる。
パリから手紙を書き送るのは、
『碁を打つ女』で高校生のゴンクール賞を受賞し、
その後も執筆をつづけている小説家のシャンサ、
それを受けて東京から返信するのはシャネル日本法人社長で、
『遥かなる航跡』という小説作品を発表したリシャール・コラスである。
ふたりは古くからの知り合いではない。
書簡のやりとりがはじまる前に二度ほど会ったきり。
共通基盤は言葉だった。
フランス語でコミュニケーションできることが、
この一風変わったプロジェクトを可能にしたのである。
シャンサは北京で生まれ、天安門事件後の一九九〇年、十七歳で渡仏し、
フランス語で文筆活動をはじめた。
かたやコラスは生まれはフランスだが、モロッコで幼少期を過し、
二十代で来日して以来、ずっと日本に暮している。
つまり、彼らはふたつの言語を操るバイリンガルであり、
異文化生きるバイカルチュラルな存在だが、
第三の文化からも大きな影響を受けている。
コラスにとってのそれは、多感な少年期を送ったモロッコだった。
現地の暮しにためらわずに溶け込む両親のおかげで、
彼はフランスにもどってカルチャーショックを受けるほど
彼の地の文化に親んだ。
その時期の輝かしい記憶のディテールは、
のちに住むことになった日本の地でよみがえる。
モロッコの古着屋が自転車で古着を集めてまわる呼び声が、
日本のちり紙交換の声に似ているという意外な発見!
おまけに物と引き換えにトイレットペーパーをくれるところまで同じだった。
シャンサの場合、第三の文化は日本だった。
とはいえ、コラスのモロッコのような直接的な結びつきではなかった。
祖父の暮していた長春の家が、関東軍の日本人司令官のために建てられた日本家屋だったのである。
休暇ごとに祖父を訪ね、その家に漂う気配に惹かれ、
かつて住んでいた日本人司令官に想像を馳せた。
その体験は後に中国人少女と日本人将校の悲恋の物語、
『碁を打つ少女』へと結晶する。
またシャンサは渡仏後、画家のバルテュスと近づきになり、
彼の秘書をしながらスイスの家に二年間暮すが、
そのとき、バルテュスの妻の節子との交流を通して、
日本の記憶はいっそう濃くなっていくのである。
(バルテュスの仕事ぶりを描いたくだりは本書でもっとも感動的な部分だ)。
あたかも、川岸のこちらとあちらで鏡を傾けて光の交信しているかのようだ。
個々の体験が響き合い、乱反射しあって川面に繊細な模様を描きだす。
越境する生き方のポジティブな未来を予見させる。