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『本が崩れる』草森紳一(文春新書)

本が崩れる

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「四万冊の本に囲まれて生を終える」

この春に急逝した草森紳一氏を追悼する会が、昨夜、九段会館で開かれた。草森氏には生前に何度かお会いしていたし、彼と最後まで関わりのあった女性と、ふたりの間にできた娘さんを存じ上げている。そんな縁で参列したのだった。

司会者の説明によれば、最期の様子はまさしく氏の著書『本が崩れる』のとおりであった。締め切りになっても連絡がつかないので編集者が訪ねたところ、電気が壊れて中がよく見えない。無理に突入すると本が崩れて二次災害になるので一旦帰り、翌日、懐中電灯を持参して再訪、中で倒れている氏を発見したという。2DKのマンションに四万冊の蔵書が積まれ、人の動ける余地がなかった。

帰宅して『本が崩れる』を再読した。氏の文章は言葉が意味を超えた呼吸になっていて、私には速く読むことが出来ない。原稿用紙にして百枚くらいの作品を、書くようなペースで読んだ。速読するなら読む必要はないと言いたいほど、文章の呼吸が素晴らしい。

表題作はタイトルどおり、部屋中に積まれた本が崩れる話ではじまる。崩れただけでなく、その本が浴室のドアを封じてしまい、出られなくなるのだ。体当たりしてもビクともしない。壁を叩いて隣室の老婦人にSOSを送ろうと考えるが、いまは昼間だ。彼女は夜まで帰らない。

とりあえず本でも読むかと、脱衣場にまで侵入していた本の山から二冊を抜き取って読書する。読み終えたところで一計を案じて自力で脱出するのだが、どうやって出たかは読んでのお楽しみとして、ともかくこれだけの量の本と暮すのが具体的にどういうことなのかが、この最初のくだりで読者の肉体に刻まれるのである。

蔵書の量に頭を痛める話は、物書きのエッセイによく登場するネタだ。だが、あまりおもしろいと思ったためしがない。自嘲しているようでいて、実は自慢しているようなふしがある。物に仮託して自分を語るのは弱さの表われなのに、その薄っぺらさに気付いてない。

そんなおごりとはまったく無縁な文章である。蔵書の量がわが身の危険と引き換えにするほどスケールアウトしているし、なによりも、そこまで突き進んでしまう自分のイビツさを自覚し、突き放して描いている。あっぱれとしか言いようがない筋の通し方だ。

「物書きとしてしぶしぶ生活するようになってから、たえずもう一人の自分をわが背後に置く癖がつき(いや、三十を過ぎてからは、わが前面にも、もう一人の自分を置く)、それは守護神の如く、情けない本体の自分を救う時もあるが、前後に見張りをつけておくなんて、素直でないと責めたい部分でもある。チミモウリョウにそそのかされるまま、素直に生きている自分。そんな醜態を眺めているもう一人の素直でない自分。超越的自分ともいえるが、そんなしろもの、自分の目でたしかめたこともない。たえず不寝番している見ず知らずの気の毒な自分でもある」

彼の書くものはどれも、なにかを見ている自分と、その自分を見ている自分、あるいは心が動いている自分と、その動きを観察している自分とが、合わせ鏡のように描き込まれる。心理学的な用語でいえば、意識と無意識、自我と超自我のあいだをうねっていくような書き方だが、そんな用語を一つも使わずに、自分を素材に人間の奥深いとこをたゆたっていく。小説を読んでいるような感じがするのはそのためだろう。

浴室から無事でられたところで半分くらいで、そのあとに男鹿半島を旅する話がつづく。本から話題が飛ぶようだが、そうではない。前半部の裏テーマは実は本に圧迫され侵食されて疲弊する肉体であり、その肉体を漢の武帝が祭られている赤神神社の九九九段の石段を登って、荒治療しようと試みるのである。

この石段を登るシーンは何度読んでもおもしろい。二十段登ったら休んでまた登るというのを五十回繰り返せばいいのだ、と自分を励ましながら進んでいくものの、ついにくたびれて石段にごろんと横になってしまう。すると「ホーホケキョ」と鴬の声がする。それも一羽二羽ではなく、複数が連唱して追いかけてきて、その声に「わが身を飾られながら」登りつめると、ふいに目の前が明るくひらけて社殿に出るのだ。

途中でもしかして「盛り」がついて鳴いているだけかもしれないという考えが、ちらっと頭をかすめる。だが、「……そんな分別、頭のスミから追い払った。この際、もっぱら自分への応援とみなすのが、「九九九」段を登り切るだめには、欠かすわけにはいかないエゴであり、妄想である」。このクールな自己観察にしびれてしまう。

私が彼の著書に出会ったのは70年代である。編集者の友人が、『子供の場所』という彼の著書にサインをもらって、当時ニューヨークに住んでいた私の元に届けてくれた。大竹昭子の「昭」の下に点々がついて「照子」になっていて、「瞬間、まちがえました。ごめんなさい」と書いてある。この本は、子供のいる場所から都市空間を論じた内容だったが、そういう括りからあふれ出る豊かさがあり、以来、彼の著書を新旧あわせてひもとくようになったのである。

「私は、これまで一度も作家とか評論家であるとか、自称したことなどない。自分では「物書き」としか言ったためしがない」と彼は言う。たしかに既成の評論のスタイルには収まり切らない書き方だし、興味の範囲も美術、デザイン、建築、写真、マンガ、広告、書、評伝と多岐にわたる。こういう作家がほかにいるだろうか。少なくとも私の乏しい知識では思い浮かばない。独自のスタイルとポジションを貫ぬいた人だった。

そんなことを思いながら帰宅する道すがら、はたと気が付いたことがあった。『子供の場所』を贈られたころ、私はまだ本格的に書きはじめていなかったが、あのとき草森紳一の著作に出会ってしまったことが、いまの自分を決定してしまったような気がする。こんなに自由に書いていいんだ、そう思って驚き、感動した。まだ駆け出してもいない私にとって、この上もなく魅力的なありようだったのである。

それ以来、内容的には到底及びがつかないものの、自由に書くというスタイルについては氏のやり方をまねてきた。一人の筆者が書いたのだから、テーマがちがっても通底したものがあるはずだと居直り、好奇心のおもむくままに書いてきたのである。それでもときどき、どうしてこんなに一言で説明しにくい仕事の仕方をしてしまったのだろうと、我が身を振り返って嘆くことがある。だが、もうこれでいくしかない。そう腹をくくれた夜だった。

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