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『東京Y字路』横尾忠則(国書刊行会)

東京Y字路

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「Y字路は妄想の入口である」

近くの駅に行くのに、普通の道を行くのと、Y字路を通っていくのと、ふたつの行き方があるが、行きにはふつうの道を通り、帰りにはY字路を通ることが多い。どうしてなのか考えたことがなかったが、いまわかった。行きはY字路を出ることになるが、帰りはそこに入っていく。Y字路の間に建っている極薄のビルを正面から見られるのは、帰りだけなのだ。

これまででもっとも圧倒されたのは、ニューヨークはマンハッタン島の五番街とブロードウェイの交差点にあるY字路である。ニューヨークは碁盤の目状に道が通っているが、唯一の例外がブロードウェイで、中心部では碁盤の目の道を斜めに縦断していく。そのために、五番街、アメリカ街、7番街、8番街、コロンバス街と、大きな通りの出くわすごとにY字路が生まれる。そのなかでもっとも印象的なのが、五番街と交わるこのY字路なのだ。フラットアイロン・ビルディングというアイロン型の美しいビルが、Y字路の間に建っているからである。

Y字路は、その角度が狭ければ狭いほうが、そこに建っている建物の内部を想像せずにおかず、おもしろみが増す。当然ながらその部屋は三角形である。先端部分に窓があれば両側が一目瞭然となる。フラットアイロン・ビルも先端に窓が付いていた。最上階の22階から見下ろす気分はどんなだろうと思いながら、見上げたものだ。

このフラットアイロン・ビルのY字路があまりに強烈で、ニューヨークからもどってしばらくは、それと似たY字路を見つけるとうれしかった。もちろん何十分の一かに縮小したミニチュア版だったが、あれに通じる崇高さがどこかに潜んでいるような気がした。

『東京Y字路』は東京のY字路249点を撮り集めたものである。撮影者は画家の横尾忠則。開いてすぐに近所のY字路が載っているか調べたが、残念ながら見当たらなかった。249点とは相当の数だが、それでもこぼれているものがたくさんある。それほど東京はY字路にあふれているのだ。

引きのない狭いところでは広角レンズでとらえるしかないが、左右の建物が斜めになり、Y字路に倒れかかってくるような図になる。これがどうにも気になる。現場で感じとったY字路の建物の迫力が削がれるのだ。横尾は写真を合成してY字路の絵画も作っているが、絵画では建物をまっすぐに直すことができる。このほうが目の感じ取るものに近い。

Y字路と言っても、2本の道に挟まれて建っているものに私たちの眼はむけられるのであり、道自体を見つめていることは案外少ない。つまりそこに何かがあってはじめて、Yの形が意識されるのであり、なにもなければYの字は平面に吸収されてしまう。

Y字の角度が狭ければ狭いほうがおもしろいと言ったが、もうひとつ、Y字路をおもしろくしているものに道路の高低差がある。片方の道がもう片方よりも高くなっていると、より記憶に残る。144番はそのいい例だ。このY字路は一度通ったらぜったいに忘れないであろう。後のリストを見ると「板橋区」とあるが、夕暮れ時に撮ったらしく、あたりは薄暗く、Y字路に挟まれた建物の部分だけが妙に明るい。おまけにその先端部分にらせん階段がついているのだから、なおドラマチックである。

一方の道が高く、他方が低いということは、両方に入口があれば段差が生まれることになる。低いほうから入ったら1階で、高いほうから入ったら2階、という事態にもなりかねない。想像するうちに物語の舞台としか思えなくなってくる。Y字路は妄想を刺激して止まないのだ。

Y字の先端部分がどうなっているかも興味を引く。三角形の先をアール型に切り取っているところと、ぴんぴんに尖らせているところとあるが、前者のほうが人にはやさしいものの、凄みには欠ける。文字通り丸みが出ているのであり、異物感が欠如している。眼前に突如現れて風景を異化するところに、Y字路の魔力が潜んでいるのだ。

どの写真もY字路を正面からとらえているのは、Y字路の写真集なのだから当然かもしれないが、Y字路に遭遇したとき、最初からこう見えているとはかぎらない。最初に話した駅のそばのY字路では、行きにはY字に分かれた右の道を来る。道の最後のところで左側の道がちらっと見え、Y字路の実感がじわっとやってくる。体のどこかでこの展開を予知していたようにも思える。

こうした言葉にはならない予感、思うよりももっと前に感じてしまう何かを察知する瞬間は、街を歩く醍醐味だが、いまこの写真集を見ながらその気分に浸っている。改めて、写真を見るということは、もうひとつの「現実」を見ることなのだと思う。

最後のほうでは都心を離れ、緑深い郊外へ、山の中へと入っていく。この構成がおもしろい。都心で見たY字路の、過去の姿を目にしているのに等しいからだ。例えば220番はつづれ織りの坂道の写真である。左上から降りてきた道が、鋭角に折れて下っていく。Y字というよりもV字のようにも見えるが、2本の道に挟まれた間には、斜面になった三角形の土地があり、木が生え草が繁っている。わんぱく坊主なら道なりに行かずに、ここをとととっと走り下りて行きそうだ。

この三角形に家を建てれば、さっきの144番の写真になるだろう。ビルのない東京都下にもY字路はあって、というより自然道や農道が残ったのがY字路なのであり、それが直線の多い都心の道路のなかでいまも異彩を放っているのがよくわかる。

不思議なことに、田園風景の中にあるY字路にはなぜかY字路を感じない。二股と呼ぶほうが似つかわしい気がする。おそらくYの字を実感するには、その間にフラットアイロン・ビルほどでないにしても、屹立する建物がなければならないのだ。そのキリっとした表情が都市の刃を研ぎ、危険と背中あわせの緊張感を生み出す。のんびりした田舎のY字路は妄想を生まない。人の無意識をくすぐらないのである。


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