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『流線形シンドローム――速度と身体の文化誌』原克(紀伊國屋書店)

流線形シンドローム――速度と身体の文化誌

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「現代、それは科学神話の時代――『流線形シンドローム』の背景」

                       原克(早稲田大学教授)


 科学雑誌を読んでいる。米国・ドイツ・日本の、過去百年にわたるものだ。膨大な数にのぼる。おかげですっかり視力が落ちた。

 科学の進歩とは脱迷信あるいは脱宗教のことである。一般にはそう考えがちだ。確かに、そうした側面もある。しかし同時に、科学情報それ自体が「現代の神話」や「現代の迷信」として作用してしまう。そんな事態が起こるのだ。アインシュタインの光量子仮説は、本来純然たる理論であった。ところが、先進性や利便性といった、市民社会の欲望や比喩と接合して語られた瞬間、現代の神話になったのである。実際、二〇世紀初頭の一般大衆は、メディアを通じて光量子仮説を知るや、それ以降、光エネルギーが電気エネルギーに変換するという物理現象を、未来志向の文脈から外してイメージすることが困難になってしまった。それは肯定的にみれば、想像力の喚起ということにつながるかもしれないが、批判的にみれば、イメージをある特定の方向にリードすることとも言える。 ロラン・バルトによれば、神話というものは、語られる内容によって決まるのではない。それを語る「語り口」によって決まる。どんな内容であれ、それをメッセージとして発信するやりかたが、神話的か神話的でないかという別があるにすぎない。神話は形式であって内容ではないのだ。バルトの言うとおりだとすれば、現代科学も神話的に語られうるのであり、つまりは神話になりうるのである。

 科学は現代の神話として作用する。この点に関して科学ジャーナリズム、なかでも「ポピュラー系科学雑誌」が果たした役割は大きい。専門家集団むけの研究論文とはちがい、科学知識をひろく一般大衆に伝えることを目的とした情報ツールだからだ。特徴はその「語り口」にある。最先端の知識を正確におさえつつも、エピソードを添えるなど、一般読者の受容傾向にたいする配慮がなされている。「分かりやすく書く」(Written so you canunderstand it)。つまり、その時代の関心や知的水準、嗜好や欲望を敏感にかぎわける嗅覚がはたらいているのだ。そして、ほかならぬ「語り口」へのこうした配慮こそが、時代の欲望をあぶりだす触媒の役割を果たすことになる。米国では『サイエンティフィック・アメリカン』(一八四五年創刊)、『ポピュラー・サイエンス』(一八七二年)他、ドイツでは『科学技術総覧』(一八九六年)、『知識と進歩』(一九二六年)他、日本では『科学知識』(一九二一年)、『科学画報』(一九二三年)等々、ポピュラー系科学雑誌は二〇世紀をつうじて、人びとに最新の科学情報を「分かりやすい語り口」で伝え続けた。ポピュラーサイエンス、それは科学神話の生産システムである。科学の時代でもあり、大衆の時代でもある二〇世紀を多面的にとらえるには、またとない重要な歴史資料である。

 こうした科学雑誌を渉猟するうちに気付いた。ある時代、「流線形」を扱う記事が非常に多いのである。とりわけ一九三〇年代初頭から一九四〇年代末まで、その数はうなぎ上りだった。これは目を惹いた。それだけではなかった。しかも、よく読むと不思議な記事が少なくないのである。一見、流線形とはなんの関係もなさそうな物まで、「流線形」と称している記事が目立ったのだ。例えば、「流線形ミルクボトル」や「流線形アイロン」。中には「流線形警察」や「流線形採用試験」などというものまであった。いずれも、空気抵抗や流体力学とは無縁なものばかりだ。それなのに「流線形」とある。不思議に思った。そして、不思議の正体を知りたいと思った。

 この疑問に対する答えが、今回の『流線形シンドローム』である。一言でいえば、本来物理学のものだった流線形という専門用語が、大衆化してゆくなかで科学神話になってゆくプロセスを分析したものだ。乱気流や不完全真空といった、「流体力学的な障害因子を合理的に排除する手立て」であった流線形が、いつしか「なんらかの障害因子を合理的に排除する手立て」の換喩になってゆく。浮かび上がってきたのは、こうした変容プロセスであった。この変容は、一見修辞学的現象にすぎないように思われる。しかし、その焦点深度は意外に深かった。単に比喩表現の拡大では済まなかったのである。それは、あるときには人間の身体性を刈り込み、あるときには精神性の基本構造を毀損し、あるときには生命を抹殺するシステムへと帰結していった。キーワードは優生学、人種差別、理想の体型、安楽死、記号の浮遊、内実の喪失。すべて二〇世紀大衆社会の根幹に関わるものばかりだった。そして最大の問題は、今日私たちがいまだにその神話圏から脱することが出来ないでいることである。

 これまで『モノの都市論』『ポピュラーサイエンスの時代』『暮らしのテクノロジー』『ポップ科学大画報』等を通じて、二〇世紀の科学神話圏のメカニズムをあぶり出してきた。今回の『流線形シンドローム』も、その一翼を担うものである。目標は科学神話の全貌を明らかにすることだ。まだ道半ばである。次作に向けて、今日も視力を落とし続けている。

*「scripta」第7号(2008年3月)より転載

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