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『日本ロボット戦争記 1939~1945 』井上晴樹 (NTT出版)

日本ロボット戦争記 1939~1945

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「ロボット」に希望をつないだのは子ども

ロボット体験の最初の記憶は、古田足日堀内誠一版の絵本『ロボット・カミイ』だった。空き箱を集めては、作った作った、わたしのカミイ。かまぼこ型の目をしたかぶりもの系で、動力はもちろん自分。装着して動くためには肘や膝の部分を空けねばならず、それに気づいたときのあの「喜び」は今でもよく憶えている。アポロ11号の宇宙飛行士のぎこちない動きはカミイに重なって見えていた。小学校入学祝いにもらった『なぜなに月と宇宙のふしぎ』(小学館)に「あと三十年もしたら、独りが三百六十万円くらいのお金で月りょこうができるでしょう」とあって、小さな双眼鏡で眺めるあの月に、大人になったらロボットみたいなかっこうをして行くのだと本気で思っていた。カミイがビー玉で動いたように、メルモちゃんがキャンデーで変身するように——なにかを思い描いてなめる桃色のアポロチョコは特別なお菓子だった。昭和40年代(1965年〜)に生まれたごく普通の子どもが、ロボットや宇宙にこれほど憧れたそのまばゆいばかりの世界を描いた大人たちは、どんな「ロボット」を見ていたのだろう。

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『日本ロボット戦争記 1939~1945』は、著者の井上晴樹さんがロボットについての前著『日本ロボット創世記』(1993)で1920年から45年までのロボットを網羅しようと構想するも、第二次世界大戦および太平洋戦争の時代とそれ以前とを同時に記述することに無理を感じて38年までとし、以後調査に時間を費やして、39年以降を扱うこの大著を完成させたのだという。ロボットどころではなかったはずのその時代、実際の開発や製作はままならず、子ども向けの漫画や読み物にロボットはその世界を移す。また戦局にありながらも科学こそ国家の振興と、40年ころからは科学雑誌の創刊があいつぐ。現実には、多数の人々が国家によりロボット化され、自らの命を動力源としていた時代であったが、当時の子どもたちは漫画や読み物のなかに、それでも科学の未来を感じていたはずだ。その子どもたちが次の世代に伝えたロボットのひとつに、ロボット・カミイもいるのだと思う。「ロボット」という言葉は確かに戦争の世紀から産み落とされたが、そこに希望をつないできたのは、それぞれの時代の子どもたちだったのだろう。

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井上さんはあとがきで、「戦争と科学の振興とは日本人というものを窺い知る手がかりを与えてくれた」とし、政府の科学振興が当時から現在にいたりいかに後手に回っているか、それが、戦時下に国民がロボット化され(あるいはし)たのは日本人の「普通」「中庸」への偏重とともに大きな要因であったと記す。そしてルイス・ヤブロンスキーの『ロボット症人間』(1972)からひいて、「『ロボットは機械で出来た人間の模造品である』が、『ロボット症人間は、チャペックの書き著したような、(中略)ロボットとは反対に、むしろ機械を模して出来た人間』で、『彼らの実在そのものが、人間ではない』」のであって、日本人あるいはその社会が自覚症状もなくロボット症となったとき、あの忌まわしい時代を繰り返す危険性に触れている。ここだけ読めば言い古された言説だけれど、年代を追って井上さんが記したこの本のページを開けば、いつどんな時代でも生命新しいところに無邪気は宿り、反復を危惧する単純さには反発したくなる。それが希望というものだ。

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装幀にも触れておきたい。年代を追って439ページ(索引を含まず)にまとめられたこの本は、ページ下3分の2あたりに配されたノンブルの横にその年代が記されており、海外のこと日本のこと、戦争最前線のこと子どもの漫画のこと、映画、小説あらゆるものを、縦割りにすることなく時代下の関わりを示す。写真版150点余、図版270点余という膨大な資料は、関連する文章があるページの下3分の1弱スペースにおもに配され、本文中には合い番号がふられていない。全てのページにおいてこの構成が踏襲されており、重いこの本をひっくりかえしたりページをいったりきたりすることなく読み続けることができる。糸綴じのために机にもよく開く。分厚さをマイナスとしないこのみごとな装幀は、祖父江慎さんによる。引用文献への説明も細やかだ。1941年、海野十三の「特許多腕人間方式」のカットについては、かつて1934年には海野自身が漫画風に描いたが「この度は三芳悌吉(1910~2000)がより本物らしく描いた」とか、1945年、ニューヨークのダイム・ノヴェル・クラブが会員のために過去のダイム・ノヴェルの複製を1ドルで頒布していたというくだりでは、「複製は折り丁を針金で綴じたアンカット仕立てに仕上げられ、アンカットのところはその当時の雰囲気をそのまま伝えていた」とある。資料を撫で、読み尽くす著者の姿がうかがえてうれしい。


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