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『呪術化するモダニティ 』阿部年晴,小田亮,近藤英俊編(風響社)

呪術化するモダニティ

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「アフリカ呪術の「現代性」」

本書は、さまざまな視点から、アフリカの呪術と宗教的な現象を考察しようとしたものだ。とくに千年紀資本主義の議論、現代における呪術分析の三つの落とし穴、そして後背地的なものについての考察を面白く読んだ。

□千年紀資本主義

まず千年紀資本主義の議論は、アフリカの宗教的な現象から、、現代日本の問題を裏側から照らしだそうという逆説的で、興味深い試みだ。ポストコロニアル人類学など、文化人類学の最新の成果をとりいれながら、しかもそれをアフリカだけの考察にとどめないというところがおもしろい。

編者によると、それが可能であるのは、アフリカがネオリベラリズムの犠牲となった「先進国」(笑)だからだという。IMFの主導でアフリカ諸国は一九八〇年代からネオリベラリズムを強要されてきたのであり、その被害が顕著になっているのであり、「日本社会もそれに追いつき始めた」(p.1)のだという。

この書物の多くの論文は、コマロフ夫妻の注目作『千年紀資本主義とネオリベラリズム文化』を下敷きにし、批判しながら書かれたものだ。千年紀資本主義とは、ネオリベラリズムのもとで加速している新資本主義であり、次のような特徴がある。

-富の蓄積の基盤が生産ではなく、株や証券の売買などの投機的な取り引きにある。成功すれば巨万の富をえられるが失敗のリスクも大きい。

グローバル化によって資本と労働の移動が加速したために、若い男性の雇用状況が世界的に悪化したこと。

-雇用が流動化して、資本と労働が長期的に一つの工場や地域で向き合わなくなり、階級意識が低下し、労働力が生身の人間であるという認識が稀薄になったこと。

-個人が自由に商品を選択できる消費者としてのみ規定されること(p.2)

たしかに現代の日本の社会でもこうした傾向が顕著になっている。ローカルな社会では、投機的な取り引きによる巨万の富の蓄積も、グローバルな市場経済のメカニズムもみえてこないために、こうした富の蓄積が魔術的なものとしてみえてくるというわけだ。先日もインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙の一面にもで紹介されていたが、日本で最近外国為替の信用取り引き(FX)で数億の利益を挙げて、脱税で検挙された主婦がいたはずだ。どうしてそんなことが可能か、FXのメカニズムを知らなければ、ほとんど手品か魔術のようなものだろう。企業買収など、手品のようにして利益をあげる実業家がいることは周知のことだ。

このためにアフリカでは特別な才能のある人物や、傑出した地位にある人物は、魔術でそれを手にいれてものとみなされるやすいという。「アフリカでの妖術信仰の増加、ロシアの信仰宗教や呪術の流行、そしてブラジル生まれのユニバーサル教会」(ibid.)などが流行する土台がそこに生まれわけだ。

たとえば、南アフリカではオカルトと呪術に関連した暴力が爆発的に増加しているという。若い男性が、権力や資力のある老人を殺害する例が顕著に増えているのだという。「つまり若者の見方では、老人は呪術で彼らの仲間を殺したうえにその魂をゾンビにかえ、労働者として働かせているという」(p.62)のである。人々の格差が大きくなり、想像力がきわめて豊かであり、呪術的な伝統が強いところでは、こうした思い込みが起こるのも不思議ではない。

さらに呪術はFXと同じような利点もある。FXは今ではごくわずかな資本で始められるようになった。数十万円とインターネットへの接続さえ用意できれば、一攫千金も、運さえよければ夢ではないかもしれない。同じように呪術は、「多額の資本や広い仕事場を必要とせず、一般にいわれているような長年の修行する都市では刈らずしも必要ではない」(p.90)。そして呪術は「値段のついて商品として取り引きされている」のであり、「カドゥナの成功している呪医の場合、一日で工場労働者一ケ月分の給料を稼ぐこともある」(ibid.)ほどなのである。こうして元手も訓練もいらない商売として、グローバリゼーションの闇の中で、呪術はますます繁栄するようになるらしい。これは日本の未来像なのかもしれないのだ。

□呪術分析の三つの陥穽

文化人類学の書物として、グローバリゼーションの時代における呪術の分析は興味深いものであり、浜本論文では、その分析方法の三つの陥穽を指摘している。最初は機能主義的な分析であり、呪術をそのコンテクストから理解すれば十分だと考える見方である。呪術が使われているコンテクストを分析することで、その社会において呪術がどのような役割を果たしているかを指摘するというのは、「人類学的理解にとってしばしば諸刃の刃となる」(p.115)のはたしかだろう。ほとんどトートロジーのような説明で安心してしまいかねないからだ。

第二の陥穽は解釈学的スタンスの誤謬と呼ばれているものであり、オカルト的な実践が「近代に対する不満を表現し、その異形性に対処する」新しいやりかただと解釈するのである(p.119)。「ゾンビー化や吸血の噂話は資本主義や近代化についての人々の想像的・道徳的理解」(p.120)を示していると解釈するものだ。これは文化人類学にはよく見られる解釈方法だが、人々の実践をある種のディスクールとして読みこもうとすると、「かぎりなく胡散臭い」(p.121)ものとなるのは明らかだろう。

第三の陥穽は、意図性のショートサーキットと呼ばれている。これは第一の誤謬や第二の誤謬と近いものだが、「妖術師の現実的な危険」にそなえている人の行為を、「近代化への抵抗」を意図するものと、解釈者が簡単に「短絡」させることも、ありがちな誤謬だろう。

□後背地的なもの

阿部論文は、科学的な知以前の暗い場所を「後背地的なもの」と呼んで分析しようとするものだ。これは「持続的な対面関係が優勢な家族的集団や近隣集団を核とする共住集団ないし小地域」を「後背地」と呼び、「後背地的なもの」とは、後背地における人間同士および人間と自然との直接的な関係の中で形成され伝承される、文化や心的傾向や能力」を指すものである(p.351)。

この概念は呪術的なものの分析だけでなく、さまざまな暗黙知の分析にも利用できるものだろうが、科学的な知のしきいの下にある知は、どの社会にも伝統的に伝えられているものだろう。分析の困難な領域を考察する試験的な概念として、いろいろと考えさせられる。

[書誌情報]

■呪術化するモダニティ : 現代アフリカの宗教的実践から

■阿部年晴,小田亮,近藤英俊編

■風響社

■2007.5

■404p ; 22cm

■目次

 □瞬間を生きる個の謎、謎めくアフリカ現代 / 近藤英俊

 □呪術とモダニティ、その理論的検討 妖術と近代 / 浜本満

 □E=Pを読み直す / 出口顯

 □呪術・憑依・ブリコラージュ / 小田亮

 □ポストモダンの宗教的実践、そのリアリティ 妖術表象と近代国家の構図 / 菊地滋夫

 □神々をめぐる経済 / 田中正隆

 □グローバリゼーションとしてのペンテコステ主義運動 / 小泉真理

 □〈歴史〉を営む / 海野るみ

 □後背地から… / 阿部年晴

■ISBN  9784894891197

■定価  6000円

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