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『ニッポン画物見遊山』山本太郎 (青幻舎)

ニッポン画物見遊山

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「ニッポン画党のマニフェスト

『ニッポン画物見遊山』というタイトルに似合うお名前の画家・山本太郎さんは、画学生であった1999年に「ニッポン画」を定義づけ、制作と発表を続けてきた。2009年初夏、京都で開かれた個展「ニッポン画物見遊山」はニッポン画業10年の軌跡で、同展のカタログの役割を持つのがこの本。ニッポン画とは……に始まり、ニッポン画作品がゆったり並び、後に「ニッポン画日記」(初出:07年4月~08年6月、熊本日日新聞)が続く。で、ニッポン画とは何か?


 一、現在の日本の状況を端的に表現する絵画であること

 一、ニッポン独自の笑いである「諧謔」を持った絵画であること

 一、ニッポンに昔から伝わる絵画技法によって描く絵画であること

わかったようなわからないような。画期的なようなありふれたような。しかしひとを挑発する小気味良い言い切りがいいし、さらに「日本画ならぬニッポン画」であると言い、「日本の昔の絵画を現代の視点で再構成したもの」とも言う。さて、日本画とは何だったか。短絡的に印象を述べれば、古くさくて神妙で岩絵具で描かれたもので、日展院展を観に行ったことはないけれどそこに並んでいそうな作品群がイメージされ、やまと絵や浮世絵や水墨画若冲蕭白琳派の絵もみんな日本の絵だが「日本画」とは呼びにくい。というのはわたしの個人的な連想だが、山本さんのニッポン画業の始まりも、やはり「日本画って何?」だった。

「ニッポン画日記」にこう記してある。明治期に、それまでの調度品的なものでもサブカルチャー的な浮世絵でもない、美術が美術として自立できるような作品を求めて作り出されたのが「日本画」であること、そしてそれは古典絵画と全く無縁ではないのに古典とは別の絵画になっていること、それなのに伝統的絵画として語られることが多いこと――この二重三重のねじれに気づいたのがニッポン画のはじまりである、と。そして当初はアンチ日本画や現代文明のパロディを意識したこともあったが、今は現在の「混沌」を愛おしんで描いているともある。

     ※

この本には作品が制作年順に並べてあるが、ニッポン画の極みにむかって収束していくようなものではない。自由の女神を亜米陀如来に、カーネルサンダースを白翁に、JAL機を鶴に見立てたものや、キティちゃんなどのキャラクターを配したもの、電信柱や信号機やガードレールをとりこんだものなどさまざまなに描いてきたニッポン画を、私たちはまさに ”物見遊山” することができる。あぁこういうの好きと思った一番は「白梅点字ブロック図屏風」。それから「秋草図風炉先屏風」「正月室礼図」「朝顔図屏風」「缶紅梅図」。描かれたパーツはどれもなじみのものばかりだが、神妙にみえる日本画のスタイルで、こんなものを描く可笑しさ。そしてそれが美しく忘れがたく、見つめるほどに作品は鏡にもなりこちら側へも視線を向けてしまうのだ。点字ブロック、電信柱、空き缶、ゴミ箱、駐車場。そうだよ、みんなここに在る。安土桃山にも江戸にも明治にもない、平成の我らの暮らしだ。

「桜花鉄鶴図」なんて、金地に満開の桜が咲いて空に鉄鶴ことJAL機が飛んで、手前には信号機、地面にはブルーシートという具合。花見宴会の朝早く公園に行って場所取りを終えた新入社員がほっとして眺める情景だ。社会人ってこんなことか、わたしはこれでいいのだろうか、希望と不安の到来に一瞬時が止まって目の前のものが心の風景となり、そしてよもやこんなところで、美しく描かれた実物に向き合って心が揺れる、というわけです。ただ作家プロフィールを先に見ておかないと、ケンタッキーのまわしものかと思うほどカーネルサンダースが目立つ。

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この本を手にした翌日、横浜美術館で中島清之の「和春」を見た。金網を背に戯れる三匹の猿。1947年の日本をきっと端的に表していて、諧謔を持ち、岩絵具で描かれた、恐れながらこれは素敵なニッポン画、と感じた。琳派のように、時間をさかのぼることだってできるはず。さながらこれは、ニッポン画党のマニフェストなのである。

テキスト:本江邦夫、森本悟郎、八木宏昌、三井知行、福住廉

翻訳:スタン・アンダソン、豊永真貴子

撮影:上野則宏、表恒匡

装幀:大西和重

企画協力:イムラアートギャラリー

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