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『山人の話 ダムで沈んだ村「三面」を語り継ぐ』語り手・小池善茂、聞き手・伊藤憲秀 (はる書房)

山人の話 ダムで沈んだ村「三面」を語り継ぐ

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見えないものへの思いをたぐりよせる「聴き語り」の力

新潟県北部。河口からたどると、松山、村上、千綱、岩崩、三面を流れる三面川の上流に作られた奥三面ダムのために、三面地区は昭和60年9月に閉鎖された。朝日連峰の山中にあって、一番近い隣の集落でも山形県小国町の入折戸までおよそ10キロ、新潟県朝日村岩崩までは20キロメートルと離れている。昭和58年にスーパー林道が開通するまではとにかく移動は歩くしかなく、それでも自給自足で37,8代、立ち退きをせまられるまで継がれた暮らしがある。昭和8年、その三面地区に生まれた小池善茂さんが、昭和15年20年代ころの暮らしを中心に「部外者に教えると不幸があるとされてきたことがらも、ここで残さなければそれまで大事に守られてきたものがわらなくなってしまいかねない」と、狩猟、焼畑、行事、建物や道具について語ったのがこの本だ。

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三面地区では、圧倒的に長く孤立する冬に備えるためにそれ以外の季節の暮らしはある。春、一番にやるのは薪集めで、表面が堅くなった雪の上を歩いて薪を伐って川のそばに集める。川の流れをを利用して家まで運ぶのは8月になってからのこと。春の山菜も、乾燥させたり塩漬けにして冬に備える。冬には冬で、縄ないや機織り、そしてカモシカ狩りがある。冬のカモシカの毛皮は綿毛があって温かく、ここでの生活には必需品。寒中の狩りはことに危険だから、役割、言葉遣い、道具、装束、日にち、方角、山の神への祈りなど厳しいきまりを設けて自らの命を守る。「獲物である動物をどう見ていますか」、との問いに応えるかたちで小池さんは、「大きかろうが小さかろうがとにかく山の神様がそういうふうに授けてくれたということ」と語る。授けてもらうためにはやってはいけないことがたくさんあって、それを厳密に守ることが大前提なのだ。


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山の神に授けてもらった動物は、そのまま集落の中に運び入れることはない。いくら小さくても、そのまま持ち帰って飼うことは決してなく、むしろ皮を剥ぐ最初の切れ目だけでも入れておく。仏様との区別をするのだと言う。たとえば、獲物を里に持ち帰る途中で休む場合は山側の道の傍らに少し高くなるように置くが、山で亡くなった人の場合には、集落の方に顔を向けて道に安置する。山で休むときに両手の指を組まず、両膝を抱えないのは、棺桶に入ったときに両手の指を組み両膝を抱えるからだと言う。男衆が山に行っている間、家族は寺に行かないし、家族に生死があれば男衆は山に行かない。神と仏、獲物と人、また、亡くなった人と生きている人を厳密に区別する。それぞれの域に踏み込むことをせず、誤解を招くことも控え、そして、一緒に暮らす。


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小池さんの話を聞いている伊藤憲秀さんは三面生まれではない。まとめるために6年間、新潟に移り住んだそうだ。話を丹念に聞くほどに細分化して途方にくれたこともあっただろう。伊藤さんはそれを図にあらわすことで整理し、三面を立体的にとらえたようだ。その図の一部が、この本に付されている。狩り・行事・生態・栄養素の関係が図示された【三面の全体図】とカモシカとクマの【狩りの図】だ。伊藤さんはこの図を解説するという方法で、小池さんの語りに言葉を添える。


 三面の人々は、月の満ち欠け、山境のある道、神棚など目に見えるものから、目に見えないものを感じ、その見えないものの世界につながっていたのかもしれない。

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 もし、目に見えないものとのやりとりが、人にとっての目に見えない部分——心や魂にとって必要な栄養分のようなものなら、それは世の中がさまざまに発展していっても、変わらずに大切なものと思われた。

……

 今の生活の中で、目に見えないものを感じ取る感性を思い出せたら、と思う。もともと人に備わる記憶のひとつと期待したい。語り手の話は、それをたぐる糸車なのである。


あとがきに伊藤さんご自身のことがある。右足を失っていて、「そこだけ、どこか先に行っているような、よく分らない感覚」があり、「ものすごく遠くにいったとは思」うが、「見えないものを意識するきっかけになった」と言う。この本が、失われた三面の暮らしの記録でありながら寂しさを感じさせないのは、伊藤さんの、見えないものを意識する感性によるところがとても大きいように思う。

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