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『コペルニクス革命』 トマス・クーン (講談社学術文庫)

コペルニクス革命

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 パラダイム理論で知られるトマス・クーンが1957年に上梓した処女作である。クーンは本書の5年後、『科学革命の構造』でパラダイム理論を提唱し、科学史のみならず思想界に衝撃をあたえることになる。

 本書にも2ヶ所「パラダイム」という言葉が出てくるが、まだ実例という意味にしか使われておらず、パラダイム理論でいう「パラダイム」の意味には達していない。

 しかし「パラダイム」の萌芽はすでに見られる。「概念図式」である。

 本書は星をちりばめた天球という球体が地球を中心に回転しているという「二つの球」の概念図式から、無限の宇宙を無数の天体が重力の法則にしたがって運動しつづけるというニュートンの概念図式に移行する過程を段階を追って跡づけているが、この概念図式は単なる天文計測のための方便ではなく、世界における人間の位置を説明するという「心理的機能」をももっており、科学者であると否とをとわずさまざまな人々さまざまな分野に影響をおよぼしたと指摘する。クーンは書いている。

 科学者も非科学者も同様に、実際に星は人間の地上のすみかを対称形に囲んでいる巨大な球上の輝点なのだ、と信じていた。結果として、二つの球の宇宙論は何世紀もの間多くの人間に世界観、すなわち創造された世界での人間の位置を定義し、人間と神との関係に物理学的意味を賦与するもの、を実際に供給した。

 閉じた「二つの球」からニュートンの無限空間への移行は運動の説明から社会のありかたまで人間の思考のあらゆる分野の変革とからみあっていた。

 「二つの球」の概念図式はアリストテレスの目的論的自然学と不可分の関係にあった。アリストテレスの自然学では万物は五大元素からなり、各元素にはあるべき場所が決まっていて、運動は元素本来の場所にもどるために生じると考えられていた。手を離すと物が地面に落下するのは物の中に「地」元素が含まれているので「地」のあるべき場所=地球の中心に帰ろうとするためだし、炎が空に向かって燃えあがるのは「火」の元素の固有の場所が空にあるためだ。

 地上の世界は「地」「水」「火」「風」の四元素でできているが、天上世界は「エーテル」という第五元素のみでできていると考えられていた。一番外側の恒星をちりばめた天球の内側に土星を載せた透明な天球殻が密着し、その内側には木星の天球殻、さらに火星、太陽、金星、水星の天球殻がきて、一番内側に月の天球殻がくる。地上の世界とは月を載せた天球殻の直下にあたるので「月下の世界」と呼ばれる。アリストテレス宇宙論をクーンは次のように要約している。

 アリストテレスは、月の天球の下側は宇宙を二つの完全に別々の領域、すなわちつまっている物質もまた支配している法則も異なる領域に分けている。人が住む地上界は多様性と変化、誕生と死、発生と堕落の世界である。対照的に、天上界は不滅と無変化の世界である。すべての元素のうちでエーテルだけが純粋でけがれがない。組み合わされた天球だけが、速度変化がなく、その占める空間が常に厳密に同一で、永久に元の位置へと戻ってくるという、自然かつ永遠の円運動を行なう。天球の実体および運動は天の不変性および尊厳と両立しうる唯一のものであり、天こそが地上の多様性および変化のすべてを作り出し支配している。

 太陽と月を除く惑星は時々逆方向に動いた。この逆行運動を説明するために周天円が考案された。惑星を載せた天球殻にはかなりの厚みがあり、惑星は天球殻の内部で厚み方向に円運動(周天円運動)をしているとしたのである。惑星が天球殻の厚みの中心から外側の領域で運動する期間は天球殻の回転方向と一致するので順行するが、内側の領域にはいった期間は天球殻の回転方向と逆方向になるので逆行して見える。しかも地球に近づくので明るくなるというわけだ。

 周天円システムを提案したのはアポロニオスとヒッパルコスだが、完成させたのはプトレマイオスだった。プトレマイオスは近地点や遠地点を説明するために副周天円を考え、さらに運動速度の変化を説明するためにエカントという架空の中心を作りだした。プトレマイオスが『アルマゲスト』で提案した天球殻システムは千年以上にわたって天文計算の基礎となり、惑星の位置の近似値を提供した。プトレマイオス以後の天文学者は計算結果を観測値により近づけるために周天円に周天円を重ねていき、プトレマイオスのシステムはしだいに複雑化していった。

 この流れに一石を投じたのがコペルニクスだが、注意しておきたいのはアリストテレスプトレマイオス地球中心説に対して太陽中心説を主張したのはコペルニクスが最初ではないということだ。古代ギリシアにはピタゴラス学派をはじめとする太陽中心説の流行があったし、ルネサンスになると新プラトン派の台頭とともに太陽中心説が復活した。だが太陽中心説をとなえたのはフィッチノのような詩人であって太陽賛歌・太陽崇拝に終始し、太陽中心の天文学にはつながらなかった。

 天文学者太陽中心説に関心をもたなかったのには理由がある。周天円を何重にも重ねあわせたプトレマイオスの地球中心の数学モデルはきわめて精緻に組み立てられている上に、ある程度の精度の近似値を提供してくれたからである。より正確を期したいならさらに周天円を重ねて数学モデルを改良すればいいというのが当時の天文学者の考え方だったのだ。

 コペルニクスは改良ではなく革命を選んだ。彼は『アルマゲスト』の改良ではなく、太陽中心の数学モデルをゼロから作りあげた。クーンは『回転論』で重要なのは太陽中心説を定性的に描写した第一巻ではなく、定量的な説明を試みた第二巻以降だとしているが、新たな数学モデルの構築が決定的だったのだ。

 もっとも『回転論』の数学モデルは成功しているとはいえない。逆行を説明するための周天円は不要となったものの、惑星の軌道を円とした上にエカントを排除したので周天円は依然として必要なままだった。コペルニクスは『コメンタリオルス』の時点では周天円は34ですむと目論んでいたが、実際に『回転論』を書きすすめていくうちにどんどん増えていき、最終的には『アマルゲスト』よりも多くなってしまった。それだけ周天円を増やしても近似の精度が多少上がった程度で、格段に正確になったわけではなかった。太陽中心説を裏づけるデータが出てくるのは『回転論』刊行後半世紀以上たってからなのである。

 コペルニクス地球中心説を棄てて太陽中心説を選んだのは観測値が理由ではなかった。ではなぜ彼は太陽中心説を選んだのか。

 ここからが本書の読みどころで、ジャン・ビュリダンというスコラ哲学者がインペクトゥス理論という形で慣性の原理に近い認識に達していたとか、その弟子のニコル・オレームはガリレオの『天文対話』の議論を先取りしていたとか、科学革命の背景が次々と明らかにされる。スコラ哲学が科学の進歩を阻害したなどという見方は間違っていたのだ。

 パラダイム理論は濫用され気味だが、もともとは科学史の地道なケーススタディから生まれたものだった。そのことを確認できたことも本書の大きな収穫である。

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