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『Merchants of Culture』John B. Thompson(Polity)

Merchants of Culture

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「21世紀の出版ビジネス」

2010年は、「電子書籍元年」の掛け声が盛んだった。おびただしいジャーナリズムの記事が書かれているが、何か食い足りない。どれも皮相な現象を追うことに終始していて、肝心の「本」はどこへ行ってしまうのか、見えないのだ。

熱に浮かされたユーフォリア的な観測が、冷静な分析を「抵抗勢力」扱いしかねない時代風潮の中で、2010年は、質・量ともに非常に充実した出版業界の研究がイギリスで生まれたことを収穫としたい。表紙に掲げられている副題は「21世紀の出版ビジネス」という。今後、出版業界の未来を考える人の必読書となるのでないだろうか。特に紙数を費やされている「デジタル革命」の章は、ジャーナリズムが見落としがちなリアリティに迫っている。

著者のジョン・B・トンプソンは、ケンブリッジ大学社会学者。前著“Books in the Digital Age”(Polity, 2005)で注目していた。この本は1960年代以後の英米の学術出版界の構造的変容を扱ったもの。長谷川一『出版と知のメディア論』(みすず書房)を読まれた方には必須の文献と思う。細部にわたる聞き取り調査の成果が、とりわけ、一般書に先んじて学術出版界で進んでいた「電子化」の波についての冷静な分析を支えていた。

このたびの新著“Merchants of Culture”(Polity, 2010)では、代わって、一般書の世界を取り上げている。二冊で対になっているといえるが、前著が内容に相応しくいかにもアカデミックであったのに対して、この本はかなり読みやすく書かれている。著者自身による延べ280回、500時間にも及んだという膨大なインタビュー取材で得られた多数の業界関係者の生の声が、たくみに一つのナラティブに織り上げられている。まるで業界内幕物ノンフィクションのように読めるのだが、あまりに多様な現場の声から各々のフィールドの論理を浮かび上がらせていく著者の手捌きが本書の真骨頂だ。

取材対象は、出版社でいえば、伝統と資本に裏打ちされた大出版グループから、少人数の独立系出版社まで、実に幅広い。同じ出版社の中でも、編集者だけではなく、CEOや、マーケティング、営業、あるいは電子部門の担当者までを網羅し、出版社という組織を動かす論理に目が届いている。書店でいえば、大手書店チェーンへの言及が中心ではあるが、独立系書店の声も多く拾っている。その他、英米圏で強い発言権を持つエージェントや、ときに作家自身にも取材している。

彼らの多くが、匿名あるいは仮名で、具体的な社名や書名を伏せて語っている。それによって、自由な発言を引き出そうという著者の狙いが当たっている。彼らの生き生きとした肉声は、他では得られない現場のリアリティを伝え、同じ職種、立場であっても微妙に異なるニュアンスを伝えている。そのことは、しばしば具体的な数字を挙げて、1960年代以後(特に1990年代以後)の出版業界の構造的変容を指摘する著者の論説と矛盾するどころか、基本的なラインをおさえつつも、一般論では括れない重層的な現実に迫ろうとするアプローチを支えている。

本書の研究対象は、英米の一般書出版業界に限られているものの、日本と共通する点も多い(とはいえ、新刊ベストセラーへの集中化を促しているのが、大手書店チェーンやネット書店にも増して、スーパーマーケットであるという事実は意外と知られていないかもしれない)。例えば、増加を続ける出版点数と高止まりする返品率であり、一部のベストセラーにますます注目が集まる一方、それ以外の本が浮かび上がる機会がますますなくなっている構図。アウトプットは増加する一方なのに、インプットのキャパシティに限界があるのは、現近のメディア社会が直面している基本的現実でもある。

こうした多様性の喪失(?)とも見える現象は、出版社の巨大メディア企業化、書店のチェーン化などと結びついているとする見方は根強い。本書のタイトルが「文化の商人たち」であるように、出版は「文化」でありビジネスであるという両側面がある。本書はこれまでアンドレ・シフリンの『理想なき出版』などに代表されていた、商業化をことさら「文化」の衰退と結びつける立場とはひとまず距離を置いて、なぜそうなってきたのかを「理解」しようとするアプローチを貫く。そこからは単純な図式化にはおさまらない、はるかに複雑な現実が見えてくるだろう。

たしかに、かつて多様な「文化」を支えていたとされる、独立系の出版社や書店が急激にシェアを減らし、成り立ちにくくなっているのは事実である。大手出版社の企画は仕掛け本により照準を合わせているかもしれない。書店のショーウインドーは売れ筋の本ばかりが並んでいるかもしれない。しかし、彼らが「文化」を捨てたというわけではない。かつて”quality book”と呼ばれた香り高い文芸書の出版は、大手グループの一角で続けられているし、ちょうど秋は文学賞・文化賞の季節だが、出版社に著者のいう「象徴資本」(symbolic capital)をもたらす重要な要素でもある。

出版は「文化」と密接に結びついていると考えられているため、「文化」論として語られることが多かった。しかし、出版が「ビジネス」であって慈善事業ではない以上、経済的に維持可能でなくてはならない。そして、表に出るプレーヤーばかりではなく、実に多くの人たちがうごめいている。アカデミズムがあまりにその側面を軽視してきたのを、本書は補ってあまりある。また、しかし、この業界の人々が経済的な動機だけで動いているのでないこともたしかである。本書中に「創業当初はクレジットカードで刷っていた」という小出版社主のリアルな発言があるが、そうまでして送り出したい言葉もあるのである。そして、それを自分の目で見て並べたいと判断する書店員もいたりする。産業としての出版の地に足のついた現実を見据えた出版論は、これまで寡聞にしてなかなか見られず、本書のような質・量を備えてようやく視野に入ってくるものだ。

「文化」の商業化は、かつて「公共」であった領分も含めて、いまや全般的な状況ではあるが、出版だけがどこか聖域視されているようだ。そのことはジレンマでもあり、プライドでもある。本書は、このウォール街から見れば吹けば飛ぶような経済規模の、しかし誇り高い世界の語られざる現実に(アカデミズム/ジャーナリズム双方の限界を超えて)初めてメスを入れた。本書の表紙は、8000冊の本を積み上げたアート作品だそうだが、これに似て、多様なプレーヤーが織り成す巨大なジグソーパズルの、その目くるめく風景の全体が一瞬見渡せたように思えたときの感じは「明日も本はある」という希望である。

最後に。小津映画に「新しいということは古くならないことをいうのよ」という田中絹代のセリフがあるが(「宗方姉妹」)、出版業界も何が本当に「新しい」のか、見つめていかなくてはならないだろう。

(洋書部 野間健司)


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