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プロの読み手による書評ブログ

『猫とあほんだら』町田 康(講談社)

猫とあほんだら

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『猫にかまけて』(2004/11)


『猫のあしあと』(2007/10))


に続く、著者と猫達との暮らしを描いたエッセイ、待望の三作目。

今回は著者が東京から伊豆半島へ引っ越す。

新居を探すうち、たまたま捨て猫を発見する。

引越し先を探す旅程の最中にも関わらず、瀕死の捨て猫二名を保護し、

旅先での看病に四苦八苦する。

善行によって帳消しにしたい良心の呵責があるわけでもないのに、

ごく自然に瀕死の二名を救出する。当然のように。

著者は自宅に二名、自宅とは別の「仕事場」に猫を六名も養っていて、

しかも仕事場の六名は、ボランティア動物愛護団体から預かっている里子で、

ウイルスに感染しているなどの理由から

自宅の猫たちとは一緒に暮らせないという事情がある。

引越しにあたり、彼らの住まいとして隔離された部屋が必要なので、

そのために「アトリエ」なる部屋が設置された家を新居に選ぶが、

体の弱い猫六名が生活できるよう、アトリエの改築工事に四苦八苦する。

結局この改築は断念することになり、

新居の一室に隣接させて庭にログハウスを建設し、

トンネルで繋げて六名の家となす。ここでも四苦八苦して。

さらに完成した新居へ、猫たちを移動させるのに四苦八苦。

移動後、一名がログハウスから脱走する事件が起き、

連れ戻すのに四苦八苦したうえ、ログハウスの窓の改造に四苦八苦。

そして、いつも猫の寿命は人間より短く、

著者はいくつも辛い別れをして泣いている。

一緒に暮らした猫が亡くなるたびに、

「彼(彼女)は私のところに来て幸せだったのだろうか。」と泣いている。

しかし不思議なことに、

なぜそこまで苦労して、辛い思いをして、

自分とは何の関係も無い野良猫たちを保護するの?

という疑問を挟む余地が、このエッセイには全くない。

町田康さんの著書には、小説作品も含めて

「自分は決して特別な存在ではない。自惚れてはいけない。」

という思想が通底しているように思う。

そうして著者は、人間の利己的な欲望の犠牲になっている

弱いもの・小さいものの眼差しに試されながら生きている。

それだけのことであり、それが全てなのだと思う。

インターネット上、誰でも自分の意見を発信できる昨今、

双方向の意見交換も容易で、短い文章でも一つ意見を述べると、

言葉尻を捉えて無数の賛否が返ってくる。

誰もが「私のことを理解してください」と殺到してくる。

そんな状況に少しく疲弊した方は、

目の前の、ありのままの命を自然に愛し、畏敬し、

共に生きている著者の世界に触れてみて欲しい。

著者独特の、「思考だだ漏れ」の文章がおもしろおかしく、

猫という存在への愛と尊敬に満ちた文章はとても心地よい。

 猫に不可能はないのか。猫がやりたいとおもえば世界征服も可能なのか。

 宇宙旅行も可能なのか。ということになるが、然り。可能である。

 一度、猫がやりたいと思えば、けっして諦めることなく、思いの外

 器用な手を伸ばして、先端を、くにゅ、と曲げ、ドアレバーを押し下げたり、

 前脚で相手の頭を抱え込んだうえで、後ろ足で相手の腹をけむけむするなどして、

 世界征服や月旅行を成し遂げるだろう。

 ただ、猫は存外、頭のいい生き物なので、そんな愚劣なことを


 やろうと思わぬだけのことである。 (p.178)

(大阪営業部 宇田静香)


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