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『コレクションさん』古川日出男+後藤友香(青林工藝舎)

コレクションさん

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「絶望を集めてまわる、そんな小学生の冒険は?」

 小説家・古川日出男が、マンガ家・後藤友香と組んで、初の絵本を発表した。生まれたのは、東日本大震災以後の日本語の表現世界に独自の位置を占めるにちがいない、感動的な傑作だ。


 「コレクションさん」に転身するのは、ランドセルをしょった小学生。彼が隣の学区、別の町へと境界を越えたときから、冒険がはじまる。誰もいない町で出会ったのは、じゃあん!じゃあん!ぎゅいいいんと宇宙的な音色でかっこよくエレキギターをかき鳴らすお兄さん。ところが、自分が「せわがかり」をしているサボテンにもその音を聞かせてやろうと少年がランドセルから鉢をとりだすと、サボテンが枯れている。「まるで1年とか10年とかほったらかしにされていたみたいに」。男の子はべそをかく。絶望にかられて。

 するとお兄さんがいうのだ。きみはこれから自分の町に引き返して、この世界の絶望を99個集めるんだ。きみはこれから「コレクションさん」になるのだ、と。その言葉にしたがって少年が自分の町に帰ってみると、そこにひろがっているのは、すべてが荒廃しきった絶望の光景だった。

 その先は、もういわない、いえない。謎のお兄さんの指示にしたがって異界の体験へと送り出された男の子は、絶望のコレクションをつづける。そしてその果てに何を見出したというのか。異界巡りを終えて、どこに帰っていったというのか。後藤友香のカラフルでキッチュでパワフルな絵が、ものすごい速度で読者を遠くまで飛ばしてゆく。時間のゆがみを主題とするこの話が、彼女の絵を乗り物としてぐんぐん広がりを帯びる。まるで現代日本に突如として転生したジャン=ミシェル・バスキアのアジア系の妹とでもいいたくなる絵は、細部にいたるまで全面的に、世界創出の意志にみちている。

 読んでいて、見ていて、目をみはり、ふるえた。故郷の喪失、破壊と絶望、死別と絶望のコレクション。ついで、使命を果たしたのちの帰郷、そして、絶望をなんとか希望にむけようとする努力。努力。音楽と努力。旅と努力。

 古川日出男は福島の子だ。福島という名で呼ばれる土地が置かれた苦境を、この二年半、考えつづけている。作家だ、彼はひとりで考えつづけている。想像力を全開にして考えつづけている。その古川の根底では孤独であるほかない意志を、後藤が絵によって(色彩によって、線によって)よく支えている。この協働ぶりは、それ自体、感動を誘う。

 現在書かれつつある「福島文学」といったものがあるとするなら、たとえばやはり福島出身でいまもそこに暮らす和合亮一『廃炉詩篇』思潮社、2013年)などと並んで、この絵本をあげるべきだろう。そしてそんな文学作品がもつ意味は、それらがすべての日本語使用者に「呼びかけている」という点にある。何を? 覚醒を。いまもつづき、これからも無限定な未来にまでもちこされてゆく状況に対する、正当な認識を。怒りを。降り積もる絶望の彼方に、それでも言語的な希望を説こうとするかれらの意志は、それ自体が必要な冒険だ。われわれが共有すべき冒険だ。

 古川日出男と後藤友香によるこの絵本は、ぜひ二度読んでください。一度目は、どこでもない町の、遠い空想世界のできごととして。二度目は、福島の、日本の、いま進行しつつある現実の報告として。いま、われわれの生活空間と地続きの現実の土地で、数多くの小学生たちが、「コレクションさん」としての活動をそっと開始しているかもしれないのだ。


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