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『世界の日本人ジョーク集』早坂隆(中公新書ラクレ)

世界の日本人ジョーク集

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たわいがないことに、考えるヒントがある。冗談、戯れ言、揶揄には、世の中の虚々実々が宿っている。そう考えて、日本人について、海外で語られている笑い話を集めてみたら、どうなるか。この本はその一例を示して見せた。いわゆるエスニック・ジョークの範疇に入るものが多い。パーティーや立ち話で、私自身すでに耳にしたものもたくさんあるが、思いがけない秀作にも出くわして、腹を抱えた。

笑いは予断がないと発生しない。笑った瞬間に、予断の構造を調べてみれば、どんどん視界が広がる。予断はステレオタイプに依拠している。紋切り型のイメージといってもいい。これらの固定観念はどこから来るのだろう。そういうテーマを胸にこの本を読むと、問題は思いのほか奥深い。

この本を一読すれば、すぐに気がつくことだが、ジョークに現れる「日本人」の圧倒的多数は、男性である。ほとんどは大会社のエリート社員で、海外の企業と取引している人たちだ。女性や老人や子どもではない。パートタイマーや非正規社員でもない。つまり、「日本人」の海外でのイメージは、日本人人口のごく一部を占める人たちによって代表されている。

もちろん、これは不思議ではない。そういう人たちにしか、ジョークの製造者たちは出会ったことがないからだ。つまり、この本に盛られた笑い話は、海外で可視性の高い「日本人」を標本としている。こうしたサンプルは、「日本人」全体を過不足なく反映しているわけではない。ここに描かれた「日本人」とは違う行動様式や思考形態を持った「日本人」の方が大多数であるかもしれない。そんな懐疑心を持って、これらのジョークを眺めると、ステレオタイプの製造過程が垣間見える。

非正規社員の増加、業績主義の導入、企業戦士の減少など、近年の日本社会の変動に触れて、筆者はこう述べる。「このような社会変化の続く日本だが、ジョークの世界ではあまりその激変に追い付けず、いまだに『日本人=会社人間』というジョークが盛んに楽しまれているのが現状である」。定型化した表象は、常に現実との間にタイムラグを持つ。その意味では、笑い話は、近い過去の残像だ。

紋切り型のイメージは、相互に矛盾している場合もある。圧倒的に多いのは、日本人は集団主義的だというものだ。しかし、例えば日本人は狡猾な「狐」になぞらえられているとか、イチローを「忍者」に例えたジョークには、日本人が個人主義的な傾向を示すという観察も隠されている。相反する予断がなぜ存在するのかという問題を考えてみるのも、おもしろい。全員が同じ価値観を持っているのではなく、「日本人」の中に異なる志向が並立していることが、浮き彫りになって見える。

エスニック・ジョークは、多くの場合、鮮明なステレオタイプを比較するという構造を持っている。そこには、日本人をコケにするだけではなくて、自分たちをも笑い飛ばすという仕組みが含まれている。この本にも再三出てくるように、まずいイギリス料理、酔っぱらってばかりいるロシア人といった定番がある。そこには、ジョーク・メーカー自身の「自画像」も見え隠れする。長い間に定着した自らの肖像が、埋め込まれているわけだ。これらもまた定型化された固定観念に他ならない。偏った部分を、あたかも全体であるかのように表現する紋切り型が、ここにも現れている。

笑い話の間に書き込まれた筆者のコメントには、私には同感できないものもある。ただ、こういう本が広く読まれること自体、ネタにされている「日本人」自身の成熟を示しているとも思われる。

たかがジョーク。されどジョーク。ひと笑いしたあと、小話の背後に含まれる誇張、決めつけ、偏見などの組み立てを熟慮してみれば、より深読みできるだろう。「ユーモアの比較社会学」「小話の人類学」の可能性などにも思いが及ぶ。心弾む一冊だ。

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