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『広重と浮世絵風景画』大久保純一(東京大学出版会)

広重と浮世絵風景画

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そっくりピクチャレスクと呼べば良い

今年2007年夏、芸大美術館で広重の《名所江戸百景》展を見た。しばらく洋ものアートの展覧会ばかりだったのでえらく新鮮に感じたが、同時に久方ぶりに、18世紀末から19世紀劈頭にかけて洋の東西がThe Picturesqueの動向においてやはりもの凄くパラレルの関係にあるのだ、という思いを新たにした。このヒロシゲの切れの良いモデルニテって何?

直後、第19回国華賞を受賞した広重論の噂を聞けば、そりゃ黙ってはいられない。著者は1959年生まれ。十歳くらい下の世代の頭の中が今どうなっているか知りたくてたまらないので、早速読んでみた。東大大学院の博士論文というからどうしようかと思ったが、前例に安西信一氏の英国庭園文化論あり、なかなかのものだったので、今回もう一度トライ。

『名所江戸百景』という揃いものを中心に歌川広重の風景画について、よく広重ファンの言う「抒情性」ではなく「空間造形力」「空間構築力」の方から評価したいとする意欲作で、現にそういう分析をするところは、それを北斎についてやり抜いた中村英樹『北斎万華鏡』の広重版とも感じられる爽快な切れ味を堪能できた。浅野秀剛、岸文和、岡泰正、内山淳一、ヘンリー・スミス、ジャック・ヒリアー・・・と、参照される研究者が皆、ぼくなどでも良く知る世界標準の日本美術史家ばかりだし、日本人ジャパノロジストとしては今たぶんナンバーワンの稲賀繁美氏の仕事をも巧く利用しながら、「浮絵研究の多視点化は、その担い手がもはや美術史家だけにとどまらなくなったことを物語ってもいる」と言えるような相手なので、大いに安心して読み始めた。

まずは「浮絵の精神史」。奥村政信などのいわゆる「浮絵」の流行を、それを通して異界を「覗き込む」ための枠、窓として捉え、室内風景専門だったのが歌川豊春によって外の風景に応用されていったという風に江戸パースペクティヴィズム [遠近法絵画] 小史が綴られ、大きな窓があるところに天井から大きな亀が吊り下げられている広重の奇作「深川万年橋」の分析になだれこむ。パースペクティヴと言えば、中央が此方に迫ってきて、左右両端がそれぞれ向こうに後退していく「二点透視法」に冴えを見せるのがひとり広重のみだそうで、表紙にその名作、「東都名所 吉原仲之町夜桜」という一幅をあしらっている。

ディテールの面白い広重のこと、大旅行家と思いきや基本的に粉本画家、つまりネタ本があるというのが、次の話題。面白い。淵上旭江の『山水奇観』、斎藤月岑らの『江戸名所図会』など、夥しい名所図会、風景絵本を駆使して、「自らは訪れたこともないであろう」場所について却って斬新無類の風景画を量産した(作品数千点は凄い)。他人の材料を相手に、自らのオリジナリティといえばひたすらに視座、視点である。「広重はかなり早い時期から、名所図会の挿絵をもとにしつつ、透視図法や空気遠近法、あるいは視点の移動などによって、俯瞰による図会の挿絵の説明性を払拭し、画中の景観のリアリティーを高めるという絵づくりをおこなっている」とする。「視点を低く取り、極端に拡大した近景の物体越しに遠景を見せる」、成瀬不二雄氏のいわゆる「近像型構図」の妙に、広重のオリジナルな才幹があるという。

批評の用語は違っても広重論として、少し気が利いた人間ならこの辺までは言える。さらに先があるので、この本は面白い。斜線というか対角線の構図があって、これがつまらぬ均衡を破って運動感をもたらし、かつ余白の美学をももたらすのだとする明快な分析が第二弾に控えており、何か「洋風」だなと思えば実はこれが広重や国芳に対する四条派の影響だというので、一驚を喫する。発見した大久保氏自身、驚いているあたりが嬉しい本だ。「従来、江漢や田善の銅版画から、北斎・広重らの浮世絵風景画へと単線的に発展すると語られてきた江戸後期の風景画史に対して、筆者は四条派の影響も加えた複線的な視点が重要であると考えている」として、本書が「多少は新たな視点を付け加えること」ができたのではないかとするが、ぼくなど仰天したのであるから、所期の目的は果たされている。

ところで、そういう全体のまとめに当たることを著者は次のように書いていて、ぼくは少し思うところがあったので、引いてみる。

 これまで述べてきたような考察が正しければ、四条派の作画手法は、相当に広範、かつ深く、天保期以後の江戸の浮世絵に影響を及ぼしていたことになる。ことにその大胆な構図法が、広重や国芳らの描く風景画、あるいは風景画的背景を有する物語絵の構図の上に、積極的に利用されていたことは驚きでさえある。これまで江戸末期の浮世絵の風景画の展開は、概して秋田蘭画から江漢・田善の銅板画、そして北斎一門の洋風版画といった、洋風表現の流れの中で位置づけられてきた観があるが、対角線構図や近像型構図といった構図法には、むしろ四条派の影響を想定するほうが合理的なものも少なくなかったのである。そもそも時流に敏感な浮世絵師たちが、同じ時代に上方で隆盛をきわめていた四条派の画風に無関心でいたはずはないのだから。今後は従来からの洋風表現の消化吸収という文脈に加えて、新たに四条派絵本の影響という視点を加えれば、江戸末期の風景画の成立を考察する上でより大きな成果が得られるように思われる。(p.239)

実に圧倒的なマニフェストである。ぼくは四条円山派については、英国人ジャパノロジスト、タイモン・スクリーチ氏の『定信お見通し』の邦訳を手伝った限りでのことくらいしか知らないが、今まで四条派、円山派に大久保氏が指摘されるような低い評価しか与えられてきていないのだとすれば、ひょっとしてこれは一寸した革命書なのかもしれない、と思う。

ところで、大久保氏のテーマの半分、「枠の意識」をぼくが敢えてパースペクティヴィズムと「洋風表現」してみたことで想像していただけるかと思うが、ここで「浮絵の精神史」と呼ばれているものはずばり、マニエリスムの中心的論点なのである。「小さな窓」から「覗き込む」こと即ちマニエリストたちの「原身振り」(G・R・ホッケ)であったことを、よもや1980年代(マニエリスム論再燃の十年)に猛勉強されていたはずの大久保氏がご存知ないとは信じられないが、本書の言うことが本当なら、ばりばりのマニエリストたる広重や芳年をどうしてマニエリストとただの一度も呼ばないのだろう。もっと面白くなるのに。

この本の残る半分、風景を「大胆なトリミング」と「遠景との極端な対比」をもって見ていく美学、「枠」で世界を切り取る技術と快感に溺れた文化は、北斎や広重とまさしく同時代のヨーロッパにも生まれ、「ピクチャレスク」と呼ばれ、世上を席捲していた。均衡を破り、運動を好み、余白と戯れる。まるで18世紀ピクチャレスクそのものの定義ではないか。円山応挙が目指した「新意」即ちマニエリストたちの“diségno interno”ではないか。綺想・奇知で受け手を驚かせようと、かつて16世紀マニエリスム、そして18世紀ピクチャレスクは同じことを主張した。世界そのものより、それを見る「視座」「視点」に狂うパースペクティヴィズムにおいても、ひたすらにアイディアの斬新と受容者の驚愕を企てることにおいても、マニエリスム/ピクチャレスクはまるで双生児のようで、現に18世紀末には間然なく合体していた。

大久保氏が学恩を受けたとおっしゃっている辻惟雄氏が若冲や又兵衛を曖昧に「奇想」の画家と呼んだ同じ1970年代初め、故種村季弘氏は若冲についてはっきり江戸のマニエリストと呼んだ。江戸のあり得べきグローバルな評価の中で、マニエリスムは間違いなく大きな手掛かりになるだろう。そのことに気付いてぼく自身、『黒に染める』を「本朝ピクチャレスク事始め」なる副題の下に世に送り、服部幸雄氏や田中優子氏などとそのことで対談を重ねてきた。タイモン・スクリーチ氏を半ば使嗾(しそう)して、旧態依然の江戸学をニュー・アート・ヒストリーの風にさらしもした。四年か五年、そうやって集中的に新しい江戸学の可能性をスケッチしてみたのだが、そちらの世界のフロント・ランナーがこれではね。ヘンリー・スミス・ジュニアまでは読めているのだから、もう一歩出てくれないかな。もったいないよ。

「従来の洋風表現の消化吸収」という方向からではなく、と言うが、その「洋」の部分についての知見が今、飛躍的に拡大しつつあるのだからと、これだけの相手だから、ついつい言いたくなる。そうではなくて四条派なんだと言われるかもしれないが、たとえば円山応挙の描く岩や滝がめちゃめちゃピクチャレスクだとしたら、議論はどうなっていくんだろうね。

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