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『Sの継承』堂場 瞬一(中央公論新社)

Sの継承

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「IT社会のクーデター」

戦後日本における、もどきをふくめて革命らしきものをひろうと、まず1950年代の火炎瓶闘争や山村工作隊(農民オルグ)を遂行した日本共産党の武闘革命路線。この革命路線は1955年の六全協日本共産党の第六回全国協議会)で全面撤回されて挫折した。やがて、空前の大衆デモのうねりとなった60年安保闘争。その直後に、無戦争・無失業・無税の「三無」をとなえた旧軍将校・陸軍士官学校出身者によるクーデター計画が発覚した。


しかし、世の中は新条約批准と岸信介首相退陣によって、所得倍増の高度成長経済を謳歌する昭和元禄と呼ばれる天下泰平時代になる。そのさなか1968年に大学紛争。大学紛争の終りともに、赤軍派など過激派による爆破事件がおきた。1972年浅間山荘事件を最後にして過激派は沈静。ここで革命運動らしきものは途絶えたかにみえた。しかし、それから4半世紀後、とんでもない方向から革命運動もどきがおきた。1996年オーム真理教徒による地下鉄サリン事件である。

 

本書が参照するのは、60年安保とその直後に発覚した三無事件、そして地下鉄サリン事件である。大学紛争やその後の過激派の運動の影らしきものはない。団塊世代には世代的な運動がスルーされたようで、もの足りないかもしれない。しかし1963年生まれの著者にとっては、現代社会の革命や社会騒乱を左翼や右翼のシナリオでは考えられないということだろう。

 

物語は、平成の今に近い日、前橋市地下鉄サリン事件をおもわせる異臭事件が発生する。65人が病院に運ばれ、2人は意識不明の重体。異臭の発生源の魔法瓶がおかれたところになぜか白骨死体がみつかる。

この事件には、長い助走があった。事件の発端は東京オリンピックの直前の1960年代初期。中心人物は、昭和戦前期に陸軍士官学校を卒業して満州で戦ったことのある、当時40代後半の経営者国重一郎。60年安保を大衆頼みの運動による失敗と総括する。かといって、決められない政治家では頼みにならない。玉川新というもと外務官僚で、衆議院議員にもなったことがある人物を師と仰ぎ、玉川の著作『日本新時代のために』を範とした革命を遂行しようと決意する。

政治家を廃棄し、官僚だけを残し(専官体制)、政策は国民がそのつどチェックするという直接民主主義。ただし、国民全部がチェックするのではなく、民度の高い国民を代表にしてのチェックである。この専官体制への革命のために核に相当する毒ガスの開発を腹心の真面目な理系大学生松島にさせる。戦前の日本軍の毒ガス研究がS号の研究といわれたことから、S号研究とされる。しかし、この革命プランは世間がしらないところで挫折する。S号研究に成功した松島は、故郷で学習塾をしながらこの未完の革命を遂行しようとする。

しかし、いざとなると、松島も国重と同じように、踏切りがつかなくなる。毒ガスを使った革命は、松島の学習塾で薫陶をうけた天野によって継承される。天野は、ついに決行にいたる。国会議事堂裏で毒ガスを武器に、議員総辞職、首相退陣の取引をはじめる。天野は、ハンドルネームSのスレッドを立て、世論の方向づけを狙い、応援部隊を募る。エンディングもIT社会ではいかにもありそうである。事件後、『日本新時代のために』がネット上に永久保存状態にされる。誰かまた目にふれるだろう、と。人気作家の作品だけに、ストーリー展開が巧みで、600頁近い長編にもかかわらず、一気によめる。

しかし、玉に瑕は、国重が範にした玉川新の『日本新時代のために』の改造案である。「政治家を廃絶して「専官体制」をとり、政策は国民の一部の代表者がその都度チェックするといっても、その都度のチェックのための時間は膨大である。代表に選ばれた者は、それぞれの仕事をしている。そんな時間や余力があるとはおもえない。まさにあのウォルター・リップマンが「市民が公的な問題に割く時間はわずか」「輿論は問題の本質に対して何もできない」と言った輿論民主主義の不可能性である(河崎吉紀訳『公衆の幻想』)。

著者もそうおもうからだろうが、「専官体制」は、「机上の空論」で現実離れしすぎていると、小説中にも何回もでてくる。たとえ小説だとしても、こんな稚拙な空論に、経営者として戦後社会を生き抜き成功した国重がころりといくとは想像しにくい。

そこで評者はこうおもった。国重が陸軍士官学校卒業のもと軍人だけに、北一輝日本改造法案大綱』を思い出したように手に取り、それに示唆を受け、現代風にデザインした計画を立てるというようにしたら、もう少しリアルさがましたのでは・・と。『日本改造法案大綱』に出てくる、財閥を、決められない政治家に読み替えることは十分に可能である。また「財産制限」「土地処分」などは近年の格差社会問題とも重なる。『日本改造法案大綱』の冒頭には、3年間憲法を停止し、両院を解散する、ともある。

とはおもうが、IT時代の騒乱の描出はリアリティをもっていることは確かである。熱しやすく、冷めやすいのは群集の特徴だが、IT社会のツィッターやスレッドでより加速化している様子も生々しい。この事件の発端は1964年の東京オリンピックを前にしたときだった。2020年の東京オリンピックを前にした今、無気味さがじわっとくる。


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