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『定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』三戸 祐子(新潮文庫)

定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?

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「「あたりまえ」を疑うところから社会を見つめなおす」

 「この列車、ただいま○○駅を1分遅れて発車いたしました。お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけいたしますことをお詫びいたします。」


 これは、ある日の帰宅時に、私が実際に聞いた車内アナウンスである。耳慣れたものとはいえ、この日の内容にばかりは驚きを隠せなかった。

 「1分遅れただけで、謝らなければならないものか。仮にこの電車が1分遅れたとして、それでどれだけの人に迷惑がかかるものだろうか」

 もちろん、遅れないに越したことはないだろう。しかし、逆に言えばこのアナウンスは、日ごろ、日本の鉄道がほとんどの場合において、“1分”たりとも遅れずに運行しているということを示しているといえよう。

 なぜ日本の鉄道は、これほどまでに正確な運行が可能なのか。誰しもが当たり前のように享受している日常的な事実でありながら、あえて本格的な検証がなされてこなかったこの疑問点に本書は挑んでいる。

 特に高い評価に値するのは、技術的な面だけでなく、社会的な背景にまで踏み込んで検証したという点であろう(ちなみに本書は、第3回フジタ未来経営賞および第27回交通図書賞を受賞している)。

 技術的な面だけで言うならば、遅れが生じ始めたとき、運行するシステムの複雑性を縮減すれば、回復を早めることができる。具体的に言えば、特急や急行などの優等列車の運転を取りやめたり、相互乗り入れを中止したりして、なるべくシンプルな運転パターンにするということである。

 だが、本書がさらに興味深いのは、そもそも鉄道開通以前の江戸期において、日本社会には共有された時間感覚と、それに伴った規則正しい生活パターンがすでに成立していたのではないか、と指摘している点である。いわば、鉄道が開通したことで、標準的な時間感覚と規則正しい生活が広まっていったという通説を否定し、むしろ、鉄道を受容しうる「土壌」がすでにそれ以前の日本社会に存在していたからこそ、今なお正確な運行が保たれているのでないか、という説を展開している。

 事実、鉄道が開通したからといって、どこの社会でも時間に正確になるかといえば、そうではない。よく聞く話だが、日本よりも先に鉄道が発達したヨーロッパ諸国においても、数分程度は遅れのうちに入らないという。あるいは、遅れるのが当然のため、到着する番線もその日によってコロコロと入れ替わるし、駅の案内板には「何分遅れ」かを示すための欄があらかじめ設けられていたりもする。それはそれで、当然のこととなれば、現地の人々には困った様子も見られないものである。

 繰り返せば、こうした事実からも示されるように、鉄道にまつわるテクノロジーの普及によって正確な時間感覚が広まっていったという通説は誤りであり、むしろ、各々の社会に、それぞれに異なった時間感覚が備わっているということなのだろう。

 さて、ではこれからの日本社会はどうなるだろうか、これからのわれわれの時間感覚はどうなっていくのだろうか。具体的な話で恐縮だが、私が日ごろ、通勤で使うJR中央線は、近年よく遅れることで有名である。また、首都圏の鉄道では相互乗り入れをする線区が増えてきて、そのこともまた、各地で遅れやすさの原因ともなっているようだ。

 こうした点と関連してかどうかはわからないが、近年首都圏では、ドアの上部にカラー画面の車内掲示板を備えた車両が増えてきた。他の線区も含めて、遅れが生じたときにはひっきりなしに情報を提供している。

 電車が遅れたとき、われわれが苛立ちを感じるのは、原因および先の見通しの不明さにあるといってよいが、こうした車内掲示板が増えていけば、われわれの苛立ちは解消されるのだろうか。1分遅れただけで、車掌が謝らなくても済むような、ヨーロッパのような社会になるのだろうか。

 あるいは、鉄道と離れてしまうが、近年では時間や場所にとらわれずに利用ができる、ユビキタスな情報メディアの進展も著しい。こうしたメディアの普及が進めば、またわれわれの時間感覚も変化していくのだろうか。それとも、こうしたメディアの普及にもかかわらず、現在のわれわれの時間感覚が「勝って」、むしろそれを時間に正確に使いこなしていくようになるのだろうか(それがどのような使い方かはなかなか想像できないが、例えばツイッターのように、まったく同じ時間を共有することの楽しさに特化したメディアも登場している)。

 いずれにせよ、時間感覚は今日の社会を考える上での一つのホットなテーマであり、本書はこの点について、重要な示唆を与えてくれる一冊であるといって間違いない。

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