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『放送禁止歌』森達也(光文社)

放送禁止歌

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「「思考停止」に陥らないための一冊」


「バカ! どんな理由があろうとなあ、歌ったらアカン歌なんて、あるわけないんだ!

 この銀河系のどこ探してもなあ、天体望遠鏡で見渡してもなあ、そんなものはどこにもないんだよ!」~映画『パッチギ!』(井筒和幸監督)より

 本書は、映画監督・ドキュメンタリー作家である森達也氏が、とあるドキュメンタリー番組を取材・制作した過程を1冊の本にまとめたものである(当初は、2000年に解放出版社から、デーブ・スペクター監修で刊行されたが、2003年に文庫化された)。

 そのドキュメンタリー番組の名は、書名と同じ『放送禁止歌』、1999年5月22日の深夜、それも関東ローカルのみで放送された。しかしながら、このドキュメンタリー番組の地味さとは対照的に、扱われているテーマはきわめて重大である。

 森氏の主張は一言に尽きる。「思考停止することなかれ」。人間は考えることをやめてはならない。この主張は、現代を生きる全ての人にとって重要だ。なぜなら現代社会は、むしろ人間に思考停止を強いるように変化しつつあるからだ。一言で言えば、「より便利に、しかし考えるのは面倒くさい」社会になりつつある。

 身近な例を挙げよう。例えば街の至る所に設置されている「防犯カメラ」である。寝ずの番をせずとも、365日24時間、カメラが見張りをしてくれる。

 だが、ちょっと考えてみれば、それが我々自身を見張る可能性があることに気づくのは難しくないだろう。いわば、犯罪者に向けられた「防犯カメラ」とは名ばかりで、たちどころに、われわれ自身に対する「監視カメラ」に転じうるのだ。

 しかし、そのちょっと考えてみる・・・のが面倒くさい、という人が多いのはわからなくもない。

 さて、森氏のドキュメンタリーの手法も一言に尽きる。「面倒くさがらないこと」。我々からしてみれば、「えー、そんなこと、不思議に思ったこともなかったよ」というようなことでも次々に追求する。その様子には、思わず「この人、頭悪いんじゃないの?」とでも言いたくなってしまうほどの「物分りの悪さ」を感じもする。でも時にそれが大事なのだ。

 本書が取り上げる「放送禁止歌」とは、マス・メディアが取り上げない歌のことだ。冒頭の台詞は、特A級「放送禁止歌」と呼ばれる「イムジン河」を、ハウンド・ドッグ大友康平演じるラジオ・ディレクターが放送しようとして止められた際、叫んだものだ。実は、森氏が取材から明らかにしたことは、ほぼこの台詞に言い尽くされている。

 「放送禁止」される以上、我々はつい何か原因があるのだろうと思ってしまう。「きっと何か悪い歌だから、知らないほうがいいんだ」と思い込んでしまう。だが、まさにこれこそが森氏の危惧する思考停止なのだ。

 取材で明らかになったのは次のようなことだ。つまり、個々の「放送禁止歌」について、クレームがついた事実はあるかもしれないが、それを「放送禁止」にする公的な根拠などどこにも存在していなかったということだ。しいて言えば、民放連が作成した「要注意歌謡曲リスト」があるが、これとて法的な拘束力はなく、1983年を最後に更新されず、ほぼ効力はないという。

 つまり「放送禁止歌」は製作者側、視聴者側のいずれもが「放送してはいけないと思い込んでいた」だけの共同幻想だったのだ。いわば社会全体が思考停止する中で、いくつもの歌が正当に評価されずに葬り去られていったのだ。

 もちろん「放送禁止歌」の全てが名曲であるわけではない(それもまた新たな思考停止だ)。だが、知らず知らずのうちに、理由もないのにタブーを作り上げ、表現や想像力の広がりを狭めてしまうことは、最終的に我々の得にはならないはずだ。

 こんな時代だからこそ、読んでおきたいおすすめの1冊であるとともに、可能ならば、実際に放映された映像も、あわせてご覧になることをお勧めしておきたい。


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