『電子書籍の衝撃―本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』佐々木俊尚(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
「ソーシャル系メディアはコンテンツ系メディアの救世主となりうるか」
本書については、やや批判的な書評などもネット上では散見されるようだが、評者はその内容を概ね肯定的に評価しているし、電子書籍をめぐる状況の進展(あるいはその遅さ!)に鑑みても、初版の発行から一年以上が経過した今でも、十分に紹介するに足る著作として、ここで取り上げてみたい。
本書が評価に値するのは、状況の本質を客観的な視点からきっちりと押さえ、その上で、今後に対する指針(処方箋)まで提示しているということである。論じているのが新しい現象であればあるほど、こうしたバランスのいい著作というのはそう多くはない。
前者について言えば、電子書籍の普及は、あたかも出版文化の破壊であるかのように喧伝されることが多いが、この点を氏は明確に否定している。少し考えればわかることなのだが、今日においても、われわれはやはり本が大好きなのだ(さもなければ、このような書評サイトなど存在するはずもないだろう)。
あるいは、もう少し正確に言うならば、今日ではそうした形をとっている、コンテンツ(著作物や文化作品)を楽しむことが大好きなのだ。よって、電子書籍の普及で揺らぐものがあるとするならば、それは紙という媒体に印刷された「本」という物体を、再販制度に支えられて安定して販売してきた旧来の流通ルート、それだけであり、コンテンツを楽しむという振る舞い自体に対しては、おそらくほとんど影響はないはずなのである。
だが一方で、氏はコンテンツの楽しみ方が代わるのではないかという指針をも示している。それは、東浩紀氏の用語に倣えば、コンテンツ系メディアがソーシャル系メディア(SNSやブログなど)と融合していくということである。
これまでのコンテンツ系メディアは、大まかに言ってマスメディア型のモデルをなしていたといっていい。テレビが象徴的だが、いうなれば「上意下逹」、一方向的に送り手から送り届けられてくるだけだった。
だが、ソーシャル系メディアの中にコンテンツ系メディアが組み込まれるような取り組みはすでに始まっている。Facebookにおいて、youtubeで見つけたお気に入りの動画を紹介し、友人と意見を交わすといった振る舞いはその典型だろう。本書が取り上げている電子書籍も、こうしたソーシャル系メディアとの連携が、今後ますます強化されていくだろう。
そして、コンテンツの創作や発信においても、旧来のように一方向的になされるのではなく、むしろこうしたソーシャル系メディアの中から、「自然発生的」に芽生えたものが緩やかに共有されていくような、新たなあり方が起こってくるのではないかと本書では示唆している。
著者の佐々木俊尚氏は、定評のあるジャーナリストであり、本書も氏の特徴がよく出て、満遍なく目線の行き届いたバランスのよい著作となっていると思う。たとえて言うならば、大学で電子書籍について講義する際には、格好のテキストである。
ただ最後に、一点だけ付け加えるのならば、これは著者に対する要求というよりも、今後に向けての課題として記しておきたいのだが、ソーシャル系メディアに対する期待について、日本社会においてはあまり過信をしてはいけないのではないかとも思うのが正直なところである。
というのも、やや「上から目線」の物言いとなるが、日本社会では、いわゆる「中間集団」が十分に発達していないのではないかと思われるからだ。
「中間集団」とは、個々人と社会全体をつなぐ橋渡し役を担う中規模の社会集団をいう。例えば、地域共同体などがその例だが、「お上」の主導によって急速に近代化を果たしてきたこの社会では、こうした「中間集団」の形成が十分ではないのではないかという危惧がぬぐいきれない。
だからこそ、戦時中に結束が強められた町内会などは、個々人と社会全体をつなぐどころか、個々人を社会に縛り付けるための「上意下達」の伝達組織と成り果ててしまったのではなかっただろうか。
今日のソーシャル系メディアにおける人々の連帯が、コンテンツを「民主的」に楽しむ新たな社会を作るために本当に役立ちうるのか、それとも、結局はマスメディア型の一方向的な「上意下達」の情報を、より効率的に伝えるための経路に成り下がってしまうのかどうか、研究者としても、今後の変化を見据えて行きたいと考えている。