『こびとづかん』なばたとしたか(長崎出版)
「「拡張現実」の時代の子ども向けファンタジー」
本作は、イラストレーターのなばたとしたか氏による、「きもかわいいこびと」たちの物語であり、すでにひそかなブームとなりつつある一連の「こびと」関連の著作の一作目にあたるものである。
その内容について、公式ウェブショップの案内には、次のように記されている。
「ある朝、草むらの中から飼い犬のガルシアが変なものを見つけてきた。ヘビの抜け殻みたいな、まるで小さな全身タイツのようなもの…。
じぃじからかりた“こびとづかん”を頼りに、少年が好奇心と命の大切さを学ぶ衝撃のデビュー作。」
評者も、小学生の息子が友達から勧められてきたのをきっかけに読み始めたのだが、作中に登場する「こびと」という「変なもの」が、当初はいったい何者かまったく呑み込めず戸惑ったのを記憶している。だが、複数の作品を進めるうちに、なんだかおもしろく感じられていくのが、実に不思議な作品であった(ただし、これには個人差があるようで、いくら読んでもわからないという人も一定数いるようだ)。
結論を先取りすると、それは、この「こびと」たちの設定が、フィクションとも現実ともつかない、不思議な描かれ方をしている点にあるように思われる。たとえば評者は、かつて理科好き少年だったこともあって、同シリーズの中でも『こびと大百科』や『こびと観察入門』がかなり気に入っているのだが、その文中では、それがフィクションであるとはほとんど触れられておらず、大真面目に、この世界のあちこちに「こびと」が存在するかのように描かれているのだ。
だから、それを読みこんだ息子も、私がくしゃみをすれば「パパ、それはキラワレスギのせいじゃない?」と話し、花壇が荒れていれば「きっと、アラシクロバネがやったんだよ」と話しかけてくる。
いわばそれは、かつての八百万の神々のような存在にも似ていて、不可思議な現象が起こった際に、科学的に解明するのではなく、そこに神秘的な存在があることを読み込もうとしたふるまいに近いといえるだろう。
そしてそのことは、近年のフィクション作品における大きな変容とも連動していよう。
すなわち、評論家の宇野常寛氏のいうように、今日のフィクション作品は、巨悪のような「ビッグブラザー」とそれに対峙する絶対の正義、といった構図では描かれず、むしろ個別分散化した「リトルピープル」たちの小さな世界の秩序が描かれる傾向にある。また、こうした善悪が二元論的に定まらない社会は、それと同時に、現実とフィクションとの区別も明確化せず、どれもがそこそこの「現実」として感じられるような、「拡張現実の時代」でもある。
こうした背景を考えると、本作が、今日の子どもたちに広く受け入れられているということにも納得がいくだろう。いわば、「こびと」は、悪でも善でもなく、そして現実でもフィクションでもなく、我々には説明のつかない不可思議な現象を引き起こすものとして、そこここに存在しているのだ。
映画やDVDなど、映像化も進んでいる本シリーズについて、ぜひ子どもだけでなく、大人もいっしょに楽しんでいただきたいと思う。