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『UFOとポストモダン』木原善彦(平凡社新書)

UFOとポストモダン

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「UFO論と社会の変容をパラレルに追求した傑作」

 本書は、UFOやそれに乗ってくる宇宙人を題材としてはいるものの、その存在の真偽を問うことを目的としたものではない。

 むしろアメリカをフィールドとしながら、そうした「UFO論」とパラレルに、社会が変容していく様子を見事に描き出した傑作である本書は、「UFO論」論であるといったほうが的確だろう。

 第1章の末尾でもまとめられているように、実はUFOの目撃証言は、はるか昔から存在しているようでいて(少なくともアメリカにおいては)、第二次世界大戦後に限られた現象なのだという。そして1973年を境に激減し、今日ですっかりと衰えてしまったという。

 同じく第1章では、本書のイントロとして、UFOに関する時代ごとのイメージの変遷が簡潔に示されているが、以下に代表的なものを抜粋してみよう(P21~25の一部に加筆修正)。

① 1947~49年 円盤型の航空機が目撃される。米ソの秘密兵器、ないし外宇宙から来たもの。

② 1950~52年 空飛ぶ円盤はエイリアンの乗り物。

③ 1953~63年 特定の人々が宇宙人とコンタクトを取っているが、空軍やCIAは隠蔽。

④ 1964~72年 UFOが着陸痕を残す。異星人が来たのは人類を救うためでもある。

⑤ 1973~79年 UFOは家畜虐殺の原因。異星人に誘拐された人もいる。

⑥ 1980~86年 異星人は小さな体に大きな頭をしている。

 大きく見ると以上のような移り変わりがあるのだが、さらに筆者も述べているように、そこには大きくいって、1950年代をピークとして1970年代までにいたる、空飛ぶ円盤に代表されるような光り輝かしいUFOの時代があり、それが1970年代から90年代になると、おぞましいエイリアン(異星人)の時代になり、そして90年代以降は、UFOや宇宙人のイメージがなかなか共有されず拡散していってしまう時代へという区分が見出せるのだという。

 そしてこうした時代の変遷は、日本社会を題材に見田宗介が提示して見せた、輝かしき「理想」や「夢」の時代から、外部や先の見通し難い「虚構」の時代へという区分とも、ほぼパラレルなものだという。

 つまりタイトルに倣うのならば、UFOとはすぐれてモダンなものなのだ。急速に近代化の進んだ、「理想」や「夢」の時代にこそ、科学技術の粋を集めた、まさしく近代的なUFOイメージが席巻したのだが、ポストモダンの今日では、もはやそのような表象にはリアリティがなくなってしまうのだ。

 この点は、鉄道やスーパーカーといったかつて少年たちが憧れていた乗り物たちの時代変遷を追及しても、ほぼ同じような結論に至ることができるだろうし、そうした比較研究も今後は期待したいところである。

 UFOを信じる人もそうでない人も、そしてかつて信じていた人も、そうでなかった人にも、お読みいただきたい一冊である。


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