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『「若者」とは誰か―アイデンティティの30年』浅野智彦(河出書房新社)

「若者」とは誰か―アイデンティティの30年

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アイデンティティをめぐる問いの軌跡」

 本書は、若者のアイデンティティをめぐって、特に現代の日本社会におけるその変容について描き出したものである。

 そこで問われているのは、まずもって次のような2つの問いである。すなわち書名になぞらえて言うならば、「若者とは誰でありたいのか」という若者自身のアイデンティティへの探求の視点と、「若者とは誰でなければならないのか」という若者以外からの(往々にして上の世代からの)視点である。

 誰かでありたい若者と、あるべき若者像を押しつける上の世代とが激しく対立してきたという話ならばありきたりだが、本書はこの点をさらに深い問いへと掘り下げていく。

 そこでさらに問われるのは、「若者とは“誰か”であるべきなのか/そうではないのか」という対立する問いである。つまり、アイデンティティを何がしかの収斂した像を結ぶ統合したものとみなすべきか、それとも緩やかなものと見たほうがよいのかという視点である。

 本書では、こうした対立を、一方はエリクソンの発達論に端を発する統合的アイデンティティ論として、もう一方はリースマンの社会的性格論に端を発する多元的アイデンティティ論として整理しつつ、そもそもアイデンティティが両方の側面を兼ね備えたものであることを指摘して見せる。

 すなわち、アイデンティティには、統合的な側面と多元的な側面とがあり、この2つの視点は同時に併存する「理想と実態の緊張関係」のように議論を繰り広げてきたのだという。つまり一方的かつ全面的に、アイデンティティが、統合的なものから多元的なものへと変容してきたのではないということだ。

 だが著者の分析では、それでも大局的に見て、アイデンティティは緩やかに多元的なものへと移り変わりつつあるのではないかという。

 本書では、特に1980年代以降の消費社会化、あるいは1990年代以降の高度情報化の進展といった若者たちを取り巻く「場」の変化を追いながら、各種の実証的な調査データも示しつつ、この点が検討されている。

 言うなれば、「地域育ち」「学校育ち」だった若者が、「消費市場育ち」「ネット育ち」へと、より流動化した社会を生き抜いていかなければならなくなってきているのだとすれば、この変容には大きく頷かざるを得ないところがあろう。

 本書は、若者論・アイデンティティ論で定評のある著者が、これまでの経緯とともに先端的な議論を適切に整理しながら紹介しており、この点で、若者(論)の現状を知る上でも、そしてアイデンティティ論のテキストとしても興味深く読める一冊である。

 評者の主観的な物言いになるが、これだけの議論がバランスよくフォローされていて、1500円(税別)はお買い得な内容だと思う。ぜひ多くの方にお読みいただきたい。


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