『凡人のための仕事プレイ事始め』中川淳一郎(文藝春秋)
「すべてが「プレイ」化する社会」
本書は、現在ではネット上のニュースサイト「NEWSポストセブン」の編集長として知られる中川淳一郎氏が、仕事に対する心構えを記したものである。
だが、堅苦しくとらえる必要はない。本書は、いつもの氏の著作のように、軽妙で、ざっくばらんな文体に笑い転げながら読み進めることができる。そしてこれまたいつもの氏の著作のように、ジョークのようなその文体の中に、実は本質的な、鋭く的を射た指摘がちりばめられているのである。
評者が特に気に入ったアドバイスを2つ引用すれば、「好きでも何でもないクソオッサンの出世のためにあなたの時間を使うのが仕事ってものだ!」「「苦しんでいるオレ」「気遣いができるオレ」「あなたを尊敬しています」を演じるのが仕事である」といったところであろうか。
もちろん多くの人々が、現状の仕事に多々不満を抱いているのだろうし、それをどうにかしたいと強く願っていることだろう。
だがそこで、「クビでも年収一億円」(!)というような、突拍子もない現実逃避的なユートピアを描くよりは、中川氏はもう少し現実的な処方箋を鮮やかに示して見せてくれている。
それは、上記のアドバイスにもあったように、仕事を「プレイ」として「演じ」ていけばよいということだ。
つまり「全身全霊をかけた自分の人生のすべて」として仕事に打ち込むというよりも、「とりあえず生きていくためのゲームのステージ」のようなものと割り切って、淡々とクリアしていけばよいということである。
そしてこの観点を延長すれば、人生のすべてが「プレイ」として割り切っていけることになる。「勉強プレイ」「家事プレイ」「育児プレイ」「趣味プレイ」・・・といった具合に、この見通しが立ちにくい激しく流動化した現代社会を生き抜いていくためには、すべてをゲームのステージのようなものと割り切って、淡々と「プレイ」していくというのは一つの合理的な選択だと言えるのではないだろうか。
かつて、仕事とレジャー論の中で、「遊びの社会学」という議論が注目されたことがある。代表的な論者として井上俊などが知られているが、それになぞらえるならば、すべてを「プレイ」として割り切るというのは、すべてが「遊び」と化していくということでもあるのだろう。
全身全霊を打ち込む仕事と、余暇としての遊戯という明確な区分はもはや消滅し、すべてを「遊び」のように楽しく、割り切って、淡々とこなしていくしかないというのが、今日の社会を生きていく我々に残された一つの道なのだとも思う(この点で、「遊びの社会学」の議論も、過去のものとしてしまうのではなく、むしろ今日的なテーマとして、さらに検討を深めるべきなのだろう)
本書は、「ごく普通の人のための仕事論」と紹介されているように、過剰にあおりたてることもなければ、比較的ありふれた職場のエピソードからアドバイスが導き出されていて、リアリティを持って読み進めることができる。
仕事や、日々の働き方に悩んでいる多くの方にぜひお読みいただきたい。