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『遊びの社会学』井上俊(世界思想社)

遊びの社会学

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ゲーミフィケーションを考えるために、読み返したくなる名著」

 何度となく読み返したくなる名著というものがある。この社会の何がしか、本質的で重要な点を言い表しているような著作、評者にとっては、この『遊びの社会学』がそうした一冊である。おそらくは今後も古典として読み継がれていくことになるのだろう。

 本書は、社会学者の井上俊が文化という現象を分析したものであり、重要なのは、メインタイトルにもある「遊び」というパースペクティブである。第Ⅰ部では個別の事例に関する分析や議論がなされたのち(遊びへのアプローチ)、第Ⅱ部では、そもそも「遊び」というパースペクティブがいかなるものか、理論的な検討がなされている(遊びからのパースペクティブ)。もともと一つの著作として体系的に描かれることを意図したものというより、書かれたものを編み上げた論集といった著作だが、その分、興味の惹かれるどの章からでも読むことができる(また定評のある流麗な文体は、いつ読んでもわかりやすい)。

 初版が1977年に出されたのち、新装版を含め、幾度も重版が続いてきたこの著作は、多くの人に読まれ、そして紹介や検討がなされてきた。それに屋上屋を架すのもおこがましいが、評者なりに、昨今の社会現象を理解する上で、本書が持つ価値について触れておきたいと思う。

 「遊び」というパースペクティブは、知られる通り、オランダの歴史学者ハイジンガやフランスの社会学者カイヨワらの著作をもとにしたものである。井上は、その要点を日常生活からの「離脱」とそれゆえの「相対化」機能にみる。そしてそうした特徴を、大衆文化や当時の青年たちの文化の中に見出していくのである。その頃においては、一見何の効用も持たないかのように論じられていた、低俗番組や青年文化の中に、社会的な存在意義を見出した著作として、本書は高い評価を得ることになった(第18回城戸賞を受賞)。

 また日常生活からの「離脱」という点において、「遊び」すなわち文化の領域は、そもそも「聖」なる宗教の領域から派生したものであるという。よって、井上が後の論考でも触れることになるのだが、「遊び」の文化が日常化し、遍く定着していくことは、むしろその「相対化」機能を低下させかねないことになるという。

 評者は、この著作を近年のゲーミフィケーションという現象を考える上で、再検討すべきだと考えている。ゲーミフィーケーションとは、この書評ブログでもいくつか関連する著作を紹介してきたが(例えば、『ゲーミフィケーション―“ゲーム”がビジネスを変える』井上明人(NHK出版)など)、「ゲームの現実化/現実のゲーム化」が折り重なって進むような、大きなリアリティ変容のことだ。

 具体的にいえば、若い世代を中心に、人生もまたゲームをプレイするようなものへと変わりつつある。それは、スマートフォンをゲームのコントローラーのようにして、そしてソーシャルメディア上のライフログ(自分の経歴や友人数など)を、あたかもゲームのステージのようにして、徐々にクリアしていくようなものである。

 「がんばっていれば人生なんとかなる」「日本の未来は明るい」といったような大きな物語に人々が駆動されていた時代とは、まったく異なったリアリティがそこにはある。

 そして奇しくも、本書『遊びの社会学』の冒頭で検討されているのも、実は「ゲームの世界」である。そこで中心的に論じられているのは麻雀であり、「遊び」の領域を日常生活から確固として分離できた時代の話ではあるけれども、「ゲーム」という「遊び」の効用を的確に分析している点においては、今日でも得るところが大きい。

 いうなれば今日は、「ゲームが日常化」してしまったというよりも、「日常をゲーム化」させていくことでしか、日々をやり過ごせないような、そんな時代になりつつある。この点をとらえて、これも以前の書評欄で紹介したように、中川淳一郎は『凡人のための仕事プレイ事始め』(文藝春秋)において、仕事も生活もすべてを「プレイ」するものと割り切るしかないと説いていた。

 まさに生活のすべてが、あたかも「ゲーム」を「プレイ」するかのように化していく、それこそがゲーミフィケーションの進んだ社会であり、すべてが「遊び」と化した社会なのだろう。かつてのように、仕事に本腰を入れながら、時々のレジャーに「離脱」して、リフレッシュする・・・のではなく、すべての生活に対して、時に入れ込み、時に「離脱」することを繰り返して、その場その場をやり過ごしていくしかないような時代になりつつあるのである。そのとき果たして「遊び」の効用はどうなっていくのか、そうした論点こそを今、じっくりと深めるべきであるように思う。

 本書は、こうしたこれからの成熟社会の生き方を前向きに考えていく上でも、改めて学ぶところが大きいように思う。かつて愛読した人々にも、そしてこれからの社会を担う若い人々にも、じっくりと読みなおしてほしい一冊である。


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