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『キャラクターとは何か』小田切博(ちくま新書)

キャラクターとは何か

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「キャラクターの/をめぐる社会史」

 本作は、キャラクターそのものの歴史と、それをめぐる社会背景とが手際よくまとめられ、かつハンディで読みやすい著作である。

 キャラクターについての著作はいくつかあるものの、その登場の歴史的背景にまで踏み込みつつ、かつ現状の日本における問題分析まで手広くフォローした著作は少なく、その点でも本書は貴重である。

 日本社会において、キャラクタービジネスが定着してすでに久しいし、それを用いた日常生活やコミュニケーションも我々にとっては、なじんだものとなっている。

 また指導する学生たちの卒業論文などでも、ポピュラーな題材として扱われることの多いテーマとなってきた。

 こうした傾向は、評者が大学に勤務するようになった10年前からも見られ始めていたことだが、当時であれば、香山リカバンダイキャラクター研究所の共著による『87%の日本人がキャラクターを好きな理由―なぜ現代人はキャラクターなしで生きられないのだろう? 』(学習研究社,2001年)ぐらいが目立った著作であった。また当時は画期的だったこの著作も、今から振り返れば、キャラに癒しを求めるメンタリティやキャラクタービジネスの裏側の分析には多くの紙幅が割かれているのだが、当のキャラクターそのものの魅力については、あまり語られていないように見える。そこから振り返れば、その後のさらなるキャラクター論の盛り上がりには目を見張るものがあるといえよう。

 さて、筆者は先行の議論も踏まえながら、「キャラクター」とは「図像」「内面」「意味」の3要素からなる複合体であると以下のように指摘している。

「図像」は絵としてのキャラクターデザインであり、ここでは「図像」要素が支配的なキャラクターの例として・・・「初音ミク」を挙げた。

「内面」はアニメーションやマンガなどのコンテンツで語られた性格であり・・・「矢吹丈」をこの要素が支配的なキャラクターとして例示している。

「意味」はキャラクターの属性や類型として与えられた「意味性」であり、代表例としてはアメリカ合衆国という「国」の象徴として描かれたキャラクターである「アンクル・サム」を挙げた。(P119~120)

 この指摘はほぼ妥当なものといえるだろう。実際のキャラクターにおいては、それぞれの要素のどれかが目立って存在していることが多い。上述された3つの事例はまさにその典型とも言えるものだが、そのように特定の要素が強調されて存在しているところにキャラクターの特徴があるといえるだろう。

 だがその一方で、「初音ミク」にもあとから「内面」が読み込まれていくように、あるいは「アンクル・サム」にもそれにふさわしい「図像」が必要であるように、これらの要素は、それ単独で成立することは(不可能ではないにせよ)なかなか難しく、実際には複数の要素が絡み合って成立していることが多い。

 この点は、いうなれば我々人間の自己というものが、主として「外見」と「内面」(上述の三要素の「図像」と「内面」に相当)を気にしつつ、さらにそれが「他者との関係性」を保ちながらその中での意味づけにも基づきながら(ここでいう「意味」に相当)成立していることとパラレルだといってよい。

 まただからこそ、今日多くの人々がキャラクターを求め、それに自己の形成過程を重ね合わせながら日常生活を送っているのであり、それはもはや必要不可欠の存在といってよいだろう。

 そのようにキャラクターは、日本社会に生きる人々にとって、もはや切っても切れない存在となりつつあるが、かといって本書は特定のキャラクターに対する強い思い入れが長々と語られるわけでもなく、むしろそのビジネスの歴史が語られている章などは特に、淡々と冷静に語られている印象があり、その点で好感が持てる。

 キャラクターのことを学びたい人に、格好の入門書としてお勧めしたい一冊である。


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