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『凍』沢木耕太郎(新潮文庫)

凍

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「闘うことの楽しみ」

 手足の指の感覚がなくなっていく。休憩所に戻り手袋を脱ぐと、すぐにストーブにあたってはいけない。指を一所懸命こすり、感覚が少し戻ってきてから、遠くから少しずつストーブに近づいていく。酷い時には、先に雪でこすって感覚を戻してから、手足をこすり始める。その後は冷たいおにぎりと、熱々の豚汁が待っている。

 小中学校でスキー授業の時に、軽い凍傷になりかけた時の記憶がよみがえってくる。当時は今のような優れた防寒着や防寒靴はなかった。長靴の先に唐辛子を入れたり、毛糸の手袋を二重にしたりしていた。それでも長く滑っていると、指先の感覚がなくなってくる。そうすると、まずいなと思いながら、指を出してマッサージをしたりする。先輩達に教わった方法だった。

 こんな経験をしていても、沢木耕太郎が『凍』で描く山野井泰史と妙子夫妻の寒さとの闘いは想像がつかない。安易な言葉だが、天才的とも言えるクライマーである泰史と、超人的な体力と意思力を持つ妙子が、ヒマラヤのギャチュンカンに挑んだノンフィクションである。極地法、包囲法と呼ばれる、大勢で前進キャンプを設営しながら時間をかけて挑戦するスタイルと違い、山野井達の方法はアルパイン・スタイルと呼ばれる、少人数または単独無酸素で短期間に一気に登ってしまうのだ。

 高度順化が上手くいかない妙子は、殆ど何も食べられない状態で登り続ける。難所では300メートルを登るのに11時間もかかっている。もちろんその間は全く飲まず食わずだ。妙子の精神力の強さには泰史も驚愕の念を隠せない。彼は友人に冗談で語る。「妙子はたとえ病院でガンを宣告されても、『そうですか』と平然と帰ってくるだろう。そして、電車の中で掛けている保険のことなどをしばらく考えると、次にはもう夜の食事の献立について考えはじめているだろう、と」

 最終的に頂上へは泰史一人で到達するのだが、下山のための体力を失ってしまう。こんな時に妙子は素晴らしい力を発揮する。7千メートルの絶壁の途中で、妙子が斜めに削った10センチ足らずの「棚」に腰を掛けてビバークする。殆ど宙づり状態だ。気温はマイナス30度以下。高所が苦手な私は、この場面では殆ど気が遠くなってしまった。さらに雪崩が彼等を襲い、手足の指は酷い凍傷にかかり、疲労のせいか眼も見えなくなってきて、死を意識する。それでも「絶対に、生きて帰る」という強い意志は崩れない。

 7千メートル以上に無酸素で6日間にわたって滞在するという、不可能に近い試練を乗り越えて二人は生還する。その後は凍傷の辛い治療が待っていた。妙子が入院している病院に、小指を詰めた暴力団員が入院していて、あまり痛い痛いというので看護婦が言う。「小指の一本くらいでなんです。女性病棟には手足十八本の指を詰めても泣き言を言わない人がいますよ」しばらくしてその暴力団員は、妙子の病室に菓子折を持って訪ねてくる。

 退院するとすぐに妙子は包丁を持つ訓練をする。指が全くないのに、手のひらで包丁を包み込むようにして、使えるようになる。箸は「親指と人差し指の間にわずかに残った股にはさみ、手のひらで包み込んで」使う。本を読む時は箸の先でページをめくる。泰史は低い山から始めて少しずつ体を慣らし、残った五本の指フリークライミングをする。そして、さらに高い山へと触手を伸ばす。

 情熱と才能が比例するとは思わない。しかし情熱と可能性は比例する。人は他者と自分とを比較して、相対的に幸・不幸を判断しやすい。「平均的日本人」などというものは存在しないのに、何と比べて幸・不幸を判断しようとするのか。妙子の姿勢は、そのような迷いから私たちを救ってくれるだろう。

 「一本の指を失っただけで、人は絶望するかもしれない。しかし、十八本の指を失ったことは、妙子を別に悲観的にさせることはなかった。好きなことをして失っただけなのだ。誰を恨んだり後悔したりする必要があるだろう。戻らないものは仕方がない。大事なのはこの手でどのように生きていくかということだけだ」


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