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『1995年』速水健朗(ちくま新書)

1995年

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「日本の現代史を語る上で、新たな必読の一冊」

 社会(科)学を学ぶ上で、現代史の知識は必須である。だが、大学で講義していても、年々その前提知識を持たない学生と接することが増えてきた。

 教えているこちらも歳を重ねているし、何よりも歴史は動いていくので、ある程度は当然と言えば当然のことなのかもしれない。だが10年前に教鞭をとり始めたころは、平成生まれの学生たちが、国鉄解体や昭和天皇崩御を知らないことに驚きを覚えていたのだが、最近では、オウム真理教事件阪神・淡路大震災を知らない学生たちの出現に改めて驚かされるようになってきた。

 それもそのはずで、本書のタイトルでもあり、これらの事件が起こった1995年に生まれた若者たちが、いよいよ大学に入学する段階に入ってきたのである。

 本書『1995年』は、独自の視点からわかりやすい内容で現代の事象を切り取ることには定評のある、速水健朗氏の手によるものであり、そんな今どきの学生たちにこそ薦めたい、資料的価値の高い一冊といえる。

 『ラーメンと愛国』『フード左翼とフード右翼』といった過去の著作のような、独自の視点から事例を掘り下げる手法とは違って、むしろ本書では、1995年の日本社会に起こった出来事をできるだけ網羅的に、それも淡々とした筆致で書き記しているのが特徴的である。具体的には第一章の「政治」に始まり、「経済」「国際情勢」「テクノロジー」「消費文化」「事件・メディア」といった章立てからなる。

 またこうして網羅的であるからこそ、むしろこの年が日本社会のあらゆる面における転換点であったことが改めて感じられる内容ともなっている。

 だが、一般的な『ニュース年鑑』とどことなく違いを感じるのは、やはり本書のどこか背後に、筆者自身のリアリティが垣間見えるからなのだろう。あとがきでも触れているように、速水氏自身は当時大学4年生で、まさにライフステージの転換点に立っていた。

 加えて、冒頭で記したような、80年代後半以降の徐々に変化しつつあった日本社会を代表する出来事の数々をリアルタイムに経験していたからこそ、1995年という年が転換点ではあるものの、そこで全てが突然のうちに変わっていったというよりも、むしろ「それ以前に起こっていた日本社会の変化を強く認識する機会」(P5)として感じられたのだという。

 この点は、速水氏よりも3年遅れて生まれた評者においても、ほぼ同じリアリティを共有するし、さらにいえば、1976年に生まれた評者の世代は、ちょうど高校卒業から大学入学へとさしかかる時期に1995年を迎えており、加えて、小学校の卒業から中学校への入学へとさしかかる時期に、昭和から平成への移り変わりを経験してきた。それゆえに、自らのライフステージと重なり合いながら、時代が変遷していくリアリティについては、非常に強い実感がある。

 本書は、速水氏や評者のような70年代生まれ世代が、後発世代に対して、日本社会の現代史を語り継いでいく上で、必読の一冊となっていくことだろう。


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