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『ふるさと銀河線 軌道春秋』作画 深沢かすみ/原作 高田郁(川富士立夏)(双葉社)

ふるさと銀河線 軌道春秋

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「公共空間で交差する多元的現実」

「このマンガ、面白いですよ」

 そういって薦めてくれたのは、地方空港の売店員の女性であった。無論、知り合いでも何でもなく、まったくの初対面に過ぎなかったが、そうした相手とコミュニケーションをする(あるいはせざるをえなくなる)ところに、公共空間の醍醐味がある。

 こうした公共空間の代表こそ、本書が描き出している鉄道の車内であろう。自家用車に乗る場合は別として、いかに個人化、情報化の進んだ今日の社会であっても、どこかに行こうとする場合には、他者と乗り合わせなくてはならない。

 本書がさわやかな読後感を与えてくれるのは、こうした公共空間において、いくつもの多元的現実が交差していく様子をリアルに描き出したところにある。

 決して、ハラハラドキドキの展開があるわけではないし、またハッピーエンドが待っているわけでもない。複数の作品がオムニバス形式で収録された本書において、むしろ取り上げられているテーマは、更年期に、衰退する地方、受験地獄、アルコール依存症、リストラと暗いものばかりだ。

 だが本書に収められた作品は、かつてのこの社会、あるいは鉄道車内に存在していたような、単一の現実(リアリティ)へと素朴にストーリーを収斂させようとはしない。

たとえば、東北地方から東京を目指した「集団就職列車」や、未来への夢を乗せた「超特急ひかり」のような車内をノスタルジックに回顧するのではなく、あくまで本書が描こうとしているのは、それぞれに確固として独立していて、ほんの一瞬だけ出会い、そしてまた分かれていくような人々のリアリティなのだ。

 評者が特に面白く読んだのは、「雨を聴く午後」と「あなたへの伝言」の二作だ。前者は、仕事に疲れたビジネスマンが、ふと以前に住んでいた線路沿いのアパートの部屋を訪れてしまい、そこに暮らす女性のつつましやかな暮らしに逆に励まされるというもの。そして後者は、その女性が実はアルコール依存症で、そこから立ち直るために、夫と別居を続けつつ、無事を知らせるために洗濯物を吊るして、それを夫が車窓から眺めて安心するというものである。

 こう書いてしまうと、何の変哲もない平凡な人々が、それぞれに何気ない平凡な日常生活を過ごしているだけに感じてしまうかもしれない。

だが、そうした平凡な日常が、鉄道の車内で一瞬の邂逅を見せるときにこそ、なんともいえない心温まる感覚を覚えてしまうのだ。そしてそれを最も簡潔にあらわしたのが「車窓家族」という作品だろう。それは、普段ストレスをため込みながら乗り合わせざるを得ない帰宅時の通勤電車の車内で、いつもの車窓から見えるある老夫婦の暮らしぶりを、実は乗客のだれもが気にかけていたことを知る・・・という内容だ。

昨今の社会情勢は、オリンピックであれ、憲法の改正であれ、道徳教育であれ、人々に単一のリアリティを植え付けようとする動向がいささか目立つようだが、むしろこれからの成熟社会のリアリティとは、本書が描き出したように、たやすく単一のものに収斂することなく、それでいて、公共空間で交差し、一瞬ごとの邂逅を見せるようなものになっていくのではないかと思う。

あるいは、そこまで難しく理屈をこねずとも、素朴に鉄道好きの方からさらに多くの方まで、心温まりながら楽しめる本作を、ぜひお読みいただきたいと思う。


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