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『池田学画集1』池田 学(羽鳥書店)

池田学画集1

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 「ジャケ買い」や「装丁買い」といった言葉がある。作者や作品の内容ではなく、見た目のデザインに惹かれて思わずCDや本を買ってしまう、というものだ。それらとよく似たもので私がついついやってしまうのが、本の「印刷買い」である。今回紹介する『池田学画集1』もそんな本の一つだ。

 『池田学画集1』(羽鳥書店、2010年)は、画家・池田学氏初の作品集である。

 池田学氏の画の特徴であり最大の魅力でもあるのが、その描写の細密さだ。細部まで丹念にペンで描き込まれた細密画は、圧倒的な迫力で見る者に迫ってくる。

 本書のあとがきには、

筆を使えばひと塗りで済むような面積も、ペンとなるとそうはいかない。

わずか5センチ四方の面積でも、

細かいタッチで埋めていくにはゆうに1時間はかかる。

だがそこが僕の生命線でもある。

とある。

 本書の扉ページをめくるとまず目に飛び込んでくるのが、山水画を思わせる岩山を描いた「巌の王」(1998)だ。

 おそらく黒ペン1色で描かれたのであろう縦195×横100cmの原画を、29.7×21cmのページの中に圧縮して印刷しているのだが、一見モノクロ印刷に見えるこのページも、じつは通常のカラー印刷と同様CMYK(シアン、マゼンタ、イエロー、ブラック)の4色で印刷されている。そのためだろうか、モノクロ印刷では出せないような深み、奥行きが感じられる。(この「深み、奥行き」に関しては、本書のジャケットをひっぺがすと出てくる、モノクロで印刷された表紙と比較するとわかりやすい。)

 次ページからはその部分拡大図が続く。全体図では気づかなかった小動物や氷柱、人家らしきものまで、細部がくっきりと姿を現している。

 しかし、ここでもう一度全体図に戻ってみれば、最初は気づかなかった細部が、実はかなり細かな部分まで再現されていたことに気づく。一般的な印刷では、とてもこうはいかない。

 ここで下の写真を見てほしい。

amiten.jpg

 この写真のように、印刷物の階調(色の濃淡)は、色のついた点々の集まりで表現されている。通常、モノクロ印刷はブラック・インキ1色、カラー印刷はCMYKの4色なのだが、濃淡は点々の大きさや密度で、さまざまな色は4色の組み合わせで表現される。印刷しているのはたった4色なのだが、目の錯覚(たとえばシアンとイエローが入り交じればグリーンに見える)を利用することで、フルカラーに見せかけているのだ。

 写真左図が一般的なスクリーン線数、175線のカラー印刷物の拡大写真である。色のついた点々が網目のように等間隔に並んでいるのがわかる。これらの点々を網点という。

 スクリーン線数とは印刷の細かさを表すもので、同じ色の点を一直線に並べたとき、1インチ(2.54cm)の中にいくつの網点が並ぶか、を示したものだ。単位は lpi(line per inch)で、175線(175 lpi)は、1インチに175本の線を引いた間隔に網点が並ぶという意味だ。「網点」なのに「線数」というのは、昔、多数の細線を縦横に交差させたガラス・スクリーンを使って網点を生成していたことからきているらしい。日本の場合、カラー印刷では175線、モノクロでは150線が標準(ただし用途や紙の種類によって変わる)といわれている。

 真ん中の図は250線の網点の拡大図だ。当然線数が上がるほど細部まで印刷再現が可能になる。

 左図や中図のように、規則的に網点を並べ、網点の大小で階調を表現する方法をAMスクリーニング(Amplitude Modulation Screening)という。印刷業界では、AM300線以上で印刷されたものを、特に「高精細印刷」と呼んでいる。

 一方、右図のように一見ランダムに微細な点(ドット)を配置し、その疎密によって階調を表現する方法をFMスクリーニング(Frequency Modulation Screening)という。要はラジオのAMとFMの違いと同じである。

 これらAM、AM高精細、FMにはそれぞれ一長一短がある。私が持っているイメージを挙げてみると、通常のAMは、色も含めた印刷の安定性がある。AM高精細印刷は、細部の再現に加え微妙なグラデーションがじつに滑らかに出る。FMはとにかく細部の再現性に優れ、モアレも出ない、等々。印刷物を作るさいには、このような特性をふまえ、絵柄の内容や紙の特徴などに合わせて製版技術(印刷用のハンコを作る技術)を使い分けるのが望ましい。

 ここで『池田学画集1』の話に戻ろう。

 池田学氏の細密画を印刷で再現するには、どの方法がベストだろうか。ここまで読まれた方はもうおわかりだろう。

 この画集はFMスクリーニングで製版・印刷されている(ちなみに印刷会社は京都のサンエムカラー)。一般的なAM175線では抜け落ちてしまう原画の細かな階調まで、微細なドットの配置が拾い上げているのだ。

 たとえばp. 24の「再生」(2001)という作品を見てみる。海に沈みすっかり朽ち果てた戦艦とおぼしき物体が、色とりどりの珊瑚などで覆われ、その周りを様々な魚たちが泳いでいる。

 肉眼ではわかりづらい部分も、目を凝らして、それも7〜8倍の小型ルーペを使って見れば、ちょうど水中眼鏡ごしに海中の風景を見ているようで楽しさが倍増する。珊瑚の横を、寒流にいるはずのクリオネや、カバらしき陸上の動物までが泳いでいたり、なぜか洗濯物が物干し竿ではためき、なかには釣り糸を垂らす人も……。愉快な隠れキャラクターを次々と発見するようで少しも飽きない。

 『池田学画集1』の「1」は、「オンリーワン」という意味だそうだ。たしかにこの画集には、オンリーワンと呼ぶに相応しい作品45点が収録されている。奔放な池田氏の想像力をよりいっそう楽しむためにも、できればこの画集は、ルーペを使ってじっくりと「観察」することをお勧めしたい。


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