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『昭和の子供だ君たちも』坪内祐三(新潮社)

昭和の子供だ君たちも

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「シャイな私の昭和論」

 「力がこもっている」という形容がふさわしい本ではないだろう。文章は力感があってぐいぐい読まされるが、たっぷり力をためた上で「えいや!」と投げ落とすようなスタイルは坪内氏には似合わない。

 たとえば小島信夫の奇書『別れる理由』を執拗にまとわりつくようにして語った『『別れる理由』が気になって』など典型的だが、氏の攻め方はふつうの文芸評論とはまるでちがう。小島というと、『抱擁家族』を論じた江藤淳の『成熟と喪失』などが思い起こされるが、たしかに居住まいを正して立派な書きぶりである。ただ、何しろくせ者の小島。正座して面と向かうだけでは取り逃す部分も出てくる。

 坪内氏のアプローチはどうかと言えば、正座どころか小島信夫に対してヘッドロックをかけたり、腕ひしぎ逆十字をかけたりと始終ちょっかいを出している感じなのである。面と向かって相対するような交渉はなかなか始まらないけど、いつの間にか読まされてしまい、そのうちに他ならぬ小島信夫本人が武装解除して降参してしまう。

 本書『昭和の子供だ君たちも』も、坪内氏のそうした持ち味が存分に発揮された本である。掲げられた看板は「昭和世代論」。ひいては「昭和史」。たいへんなテーマである。昭和が終わってまだ25年。昭和をめぐる記憶、伝説、情報は巷にあふれ、昭和生まれの老若男女がそれぞれ勝手に言いたいことがあるから、何を書こうが「いやいや、それは違う」とか「ここが抜けてるよ」といった苦情が届きそうである。たいへんだ。

 しかし、そこは坪内氏。小島信夫を四の字固めで攻めたように、至近戦に持ちこむのである。鍵となるのは「シャイな私」だと筆者はみる。たしかに冒頭では歴史の「目安」を語ると宣言され、たしかに重要な年号、枠組みが提供される。太平洋戦争からはじまり、安保闘争、受験戦争、新人類、オタクといった事件や概念をたよりに昭和の流れを見渡す視点は誰も抵抗感を持たないだろう。その過程で「一九八〇年がターニングポイントだった」(162)とか「一九五八年生まれと一九五九年生まれ、一九六〇年生まれと一九六一年生まれとでは五〇年代組(旧人類)と六〇年代組(新人類)とで大きく分かれる」(168)というような、ずばっとタイミングよく内角をえぐる指摘もさしこまれる。

 だが、坪内氏の語りは、実は全体を見渡してしまうことには禁欲的である。高い所には登らない。その世代論はあくまで個人によっているのだ。だから、個人名や年齢や年代がこれでもかとばかりにたくさん出てくる一方で、抽象概念はきわめて少ない。本書のひとつの芯をなすのは、「全共闘世代とは何だったのか?」という問いだと思われるが、彼らの政治や文化を語るにあたって欠かせないセクトの対立や運動の推移に踏み込むときにも、坪内氏は見事なほどに〝概念〟を回避している。氏が狙うのはあくまで人であり、その行為なのだ。

 このこだわりの理由は、はっきりしている。氏は全共闘的なもの自体が苦手なのである。軽薄な新人類に対する警戒心も強いけど、群れ集まって全体のロジックですべてを語ろうとする「運動的」なものに対する違和感はもっと強い。しかし、だからといってあの世代のパワーに、パワーで対抗したのでは同じアナのむじな。坪内氏は相手を言葉の力で、すなわち概念の権威や論理の威力でねじふせようなどとはしない。そのかわりに、人と人との希有な連鎖をするするっとフォローしていくことで、「や!そこがそうつながったか!」というような俊敏なスピード感でこちらの虚をつくのである。言ってみれば、重量フォーワードに対するところのバックス陣の快走である。本書の中でも、柴田翔、海老坂武、大江健三郎が一気につながる第四~六章や、和田春樹、蓮實重彦、小野寺竜二、亀井静香横澤彪といった面々が結びつけられる第九章などは印象的で、まさに点と線の力というのだろうか、地に足のついた世代論が展開されて小気味良い。

 そこにあるのは単なる印象論ではない。もちろん理論武装でもない。目につくのは、一見気まぐれにも見える「あ、そういえば」的なスタンス。「ところで」の語りである。

 ところで、昭和をテーマの一つとする長編評論でありながら、この章で私は元号より西暦を優先させてしまっている。(一六六)

 この一種、あっけらかんとした「ところで」は、坪内語りの有効な武器である。私たちはこういうふうに話がひょろっと迂回しても、決して変な気分にはならないのである。テレホンショッキングばりの固有名の連鎖からもわかるように、本書の語りは関係性と連鎖によっており、私たちは「あ、そういえば」的に「ところで」が出てくるのを期待してさえいる。もっとやれ!と思っている。

 それから、もうひとつ。坪内氏はカッコをつかってエピソード未満のコメントを差し挟むのがうまい。たとえば「江川事件」を語った第十三章の最後。

 最初江川は慶應大学への進学を目指していた。

 一橋大学だって現役で入学できる学力を持ちながら(実際江川の弟は一橋大学に合格し彼らの父は弟より兄の方が勉強は出来たと語っていたはずだ)、江川は、慶應義塾大学の受験にすべて失敗してしまった。

 当時私の家では一般紙以外にサンケイスポーツも講読し、慶應大学の合格発表の翌日、同紙は一面で大きく合格者たちの受験番号が記されているボードの写真を載せ、ここ(この数字)とここ(この数字)の間が江川の受験番号だ、と報じた。つまり大変なプレッシャーだっただろう。

 そしてまだ受験が間に合う法政大学の二部の試験を受け、合格し、東京六大学野球で活躍したのち、紆余曲折を経てプロ入りするのだ(江川卓原辰徳のプロ入り年度はあまり変わらない)。

 もう一度言おう。私は江川卓に高卒後すぐにプロ野球入りしてもらいたかった。「シラケ世代」の十代が「団塊の世代」の二十代たちをきりきり舞させて行く姿が見たかった。(二〇一)

江川の受験風景をめぐるエピソード全体がそれこそカッコの中に入りそうな余談性をもっているが、その中でさらにカッコを駆使して小さな脱線をしこんでいく、それでいて文章に勢いを失わせない手際はお見事。学者の中にはやたらとカッコを多用する人がいるが、だいたいはアリバイ作りにすぎず、文章の方向が不明になって読みにくいばかり。まったく対照的である。

 このような「ところで」やカッコにあらわれた身のこなしには、先にふれた坪内氏の重要な態度が読み取れると筆者は思う。ポイントになるのは、「シャイな私」を保ったまま、いかに世界を語るかということなのである。本書は歴史語りとは言っても等身大の歴史地図になっており、坪内祐三氏本人もちょくちょく顔を出す。自民党の代議士の選挙参謀を務めたという父親の思い出からはじまって、「ぴあ」元編集長の湯川憲比古の選挙運動を近所で目撃したとか、雑誌『東京人』の編集者をしていた頃に誰それがこんなことを言っていたといったエピソードがふんだんに盛り込まれる。

 しかし、等身大であればこそ、そうした経験談は上から睥睨するような視点にはならない。坪内氏が嫌いだったり苦手だったりしたのであろう人も含めて(そういう人はたいていイニシャルになっているが)、ある程度のリスペクトをもって遇せられている。自分自身を含めた人間関係の連鎖に歴史をからめとろうとする一方、主役に躍り出るつもりはない。雄弁かつ明晰な一方、ぎらぎらした政治性や自己宣伝や怨念横溢(ありますよね、そういう思い出話)とも一線を画している。それを可能にするのが、力感のある語り口にあちこち穴をあける、気まぐれ風の「ところで」や脱線気味のカッコ的挿入ではないかと思うのである。華やかな話題展開のわりに、ひょいと頭をひっこめてしまう含羞とでもいうのだろうか。「シャイ」な部分を語り手が持っているのだ。この本の究極の魅力はそこである。

 こうやってぽこぽこ穴が開き、不意に〝その向こう〟が垣間見える語りは、読んでいても飽きない。坪内氏は英文科のご出身。そうか、そういわれてみればこの含羞は英文学的なものかもしれない。小島信夫も、専門こそアメリカ文学だが、英文科だった。イギリスの作家は、本気で演説してしまう人には冷たいのである。ジェーン・オースティンなんかまさにそう。『高慢と偏見』のコリンズ氏、とか。まだまだ英文科だって負けないぞ、と元気が出てくる。

 ところで、シラケ世代の坪内氏、学校時代は先生がちょっとでもつまらないことを言うと生徒たちは「シー、シー、シー」の合唱だったという。そうでしたか。筆者の中学校時代もこの「シー、シー、シー」が猛威をふるっていて、てっきり田舎特有のプチブームかと思ったけど、東京の流行が遅れてやってきたのですねえ。


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