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『物語 ビルマの歴史-王朝時代から現代まで』根本敬(中公新書)

物語 ビルマの歴史-王朝時代から現代まで

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 現在の国名は、ミャンマー連邦共和国。2010年からの正式名称である。1989年に国名がビルマからミャンマー、首都名がラングーンからヤンゴンに変わったことは知っていても、1948年の独立後正式名称が何度も変わり、国旗のデザインも1974年の変更を経て2010年に一新したことを知る日本人は少ない。正式な国名は、1948-74年はビルマ連邦、1974-88年はビルマ連邦社会主義共和国、1988-89年はビルマ連邦、1989-2010年はミャンマー連邦である。いずれの国名にも、「連邦」がつく。帯に、「多民族・多言語・多宗教国家の歩みをたどる」とあるゆえんである。


 その連邦国家の歴史を語るにあたって、著者、根本敬は、「「地球市民」の視点に立つ「グローバル・ヒストリー」や「新しい世界史」の重要性が叫ばれる現代にあって、本書のように特定の国の通史、すなわち一国の歩みを時系列に沿って描くこと」でいいのか悩んだ。そして、「「一国を基本とする通史はいまも必要とされているのだ」と自分にいい聞かせ、あえて開き直るように、古いタイプの一国史記述を行うに至ったというのが私の正直な思いである」と吐露している。


 歴史叙述の流行は、当然、その時代や社会を反映している。しかし、「地球市民」を自覚するための歴史が優先される状況が、地球上すべてにあるわけではない。ミャンマー国民にとって、いま必要なのは、「地球市民」としてより「国民」としての歴史だろう。とは言っても、「地球市民」であることを、まったく無視することもできないが、「地球市民」としてのミャンマー国民を語るには、史料があまりに少なすぎ、しかも偏っている。独立後のビルマミャンマーの歴史を語ることが、いかに困難であるかを知っている者は、本書のような「一国史」が書かれたことにまず驚かされる。17年かかったというが、あきらめずに完成させ、こうして読むことができるようになったことに感謝をしたい。


 本書は、「古い時代の記述は最小限に抑え、近現代史の叙述のほうに力を入れている」。その理由を、著者はつぎのように説明している。「現在の国民国家としてのビルマミャンマー)の基盤が、その領域こそ王朝に由来するものの、国家のあり方や基本制度については、英領植民地の時代につくられたといえるからである。そのため、なぜ植民地化されたのか、どのような国家につくり変えられたのか、それによって何が破壊され何が押しつけられたのか、土着の人々の対応はどのようなものだったのかを、ひとつひとつ丁寧に見ていく必要があり、近現代史重視の構成を採用することになった。二十世紀に入って、ビルマ民族の中間層を中心に共有されたビルマナショナリズムの思想や情念も、こうした植民地期の国家のつくり変えと、それに対する土着の対応の文脈のなかで見ていくことが課題となる。また、独立後の政治過程の叙述においても、ビルマが外から受けた影響を十分に意識しつつ、ビルマナショナリズムの負の側面にひきずられながら、国家がさまざまな混乱と直面していく様相を見ていく必要がある」。


 本書の「分厚さに読む気をそがれ」た読者は、「本書の中に計二〇編ちりばめたコラムから読んでいただければ、ビルマの「歴史の香り」」を感じ取ることができる。「ビルマ人の名前」といった基本的なことからはじまり、「全ビルマ恐妻家連盟-永遠不滅の全国団体」という「明るく朗らか」なものまで、序章、終章を含む各章の終わりに、「歴史の香り」がちりばめられている。


 終章「ビルマナショナリズムの光と影」では、「過去を知ったうえで未来に目を向け」、「この国が今後、乗り越えなければならない課題」を3つに集約している。まず、「連邦改革-少数民族問題と難民問題の解決に向けて」は、つぎのような認識からはじまる。「ビルマナショナリズムビルマ民族とその文化を中心に形成されたため、宗教としては上座仏教、言語としてはビルマ語、歴史認識としては旧ビルマ王国の記憶や面影を重視した。しかし、国内にはビルマ民族ではないさまざまな民族が住んでいることも意識され、彼らとともにひとつの安定した主権国家をつくる必要性が独立前からナショナリストたちのあいだでは認識されていた。問題はその表現として採用した独立後の連邦制が機能しなかったことである」。


 2つめが、「教育改革-従順な人間から自分で考える人間へ」である。「この国の教育問題はあまりに根が深く、単に時間がかかるだけでなく、明確なヴィジョンが示されない限り改革を進めることはできないといえる。ひとつは歴史的・文化的につくりあげられた人々の意識とつながる問題である。この国では「先生や年長者に従順な人間」を育てることが良い教育だとされている」。「こうした教育の伝統のなかでは、政治権力を握った者は、たとえ誰であれ、従順な支持者だけを「よし」とする考え方を持ちやすくなる。軍事政権がその最たるものだが、民主的な手段で政府が成立したとしても、指導者は国民の従順な支持を求め、ときに批判をする自律的なフォロワーを嫌うことになりかねない。そのため、いかなる人間がリーダーになっても、このままでは独裁化したり腐敗する危険性が生じる。政党やそのほかのあらゆる組織においても同じことが指摘できる」。


 3つめは、「経済改革-民主主義と協調する経済発展」で、「これは誰もが認める課題だが、どのように改革すべきかについて議論は深められていない」という。「日本をはじめ、いくつかの国々がビルマへの支援を表明し、経済改革に向けたアドヴァイスを行っているが、ビルマ側に(テインセイン大統領であれアウンサンスーチーであれ)改革に向けたグランドデザインをつくろうとする動きがいまのところ見られないため、そうしたアドヴァイスや支援プロジェクトを国家の経済発展に向けて有機的に活用できるのかが危惧される。ヤンゴンやその周辺では早くも乱開発が懸念され、投機資金の流入による土地バブルが生じている。この問題はとても深刻で、政治面での民主化努力と並行して、経済発展の将来像をビルマ政府が議会や国民に諮りながら具体化させる必要がある」。


 そして、最後に「排他的ナショナリズムの克服」を取りあげている。具体的には1982年国籍法の問題であり、イスラーム少数民族集団ロヒンギャーの問題である。著者は、つぎのようにまとめて、終章を終えている。「二十世紀に擡頭したビルマナショナリズムは、英国からの独立達成という面では前向きに作用し、独立運動を精神的に支える「光」として貢献した。そのナショナリズムは独立後、ビルマ連邦という主権国家に住む人々を「ひとつの連邦国民」として統合していく精神的なよりどころになるはずだった。しかし、現実は逆の方向に進んだ。ビルマナショナリズムに内包された「影」の部分、すなわちビルマ民族中心の排他性が強くなり過ぎてしまい、ビルマが連邦としてまとまることをかえって阻害する結果になった。換言すれば、ひとつの「ビルマ国民」の形成という独立後の国家的作業に、独立闘争以来のビルマナショナリズムが負の影響を与えたといえる。その犠牲者がロヒンギャーを含む数々の少数民族であり英系ビルマ人だったといえる。この国の未来は、自らのナショナリズムのなかにある強い排他性を、どこまで自覚的に制御できるかにかかっているといっても過言ではないだろう」。


 2011年の民政移管後、「アジア最後のフロンティア」として注目を集めるミャンマー。だが、その前途はけっして揚々たるものではないことが、本書からわかる。暖かい国民性を感じるとともに、ときに残虐な一面を見せることがあるミャンマーを、辛抱強く温かく見守ってきたのが近隣のASEAN諸国である。天然資源に恵まれ、災害の少ないミャンマーの平和と発展を、たんなる投資先とみるのではなく、大切なアジアの一員としてASEAN諸国、そして著者とともに見守っていきたい。

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