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『Mere Anarchy』Woody Allen(Random House)

Mere Anarchy

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ウッディ・アレンさん、新しい本を出してくれてありがとう」

 今回紹介する『Mere Anarchy』はウッディ・アレンが久々に出版した作品集だ。

 僕は以前、マディソン街と76丁目にあるカーライル・ホテル内にあるカフェ・カーライルにクラリネット奏者として出演したウッディ・アレンを見に行ったことがある。カーライル・ホテルは、ティファニーの創設者の息子などのいわゆる「オールド・マネー」と呼ばれる古くからの金持ちの文化を代表するようなホテルだ。一方、カフェ・カーライルはカフェという名前がついているが、コーヒーハウスではなく立派なレストラン。サパークラブと呼ばれることもある。係りの人が案内してくれたのは、ステージのすぐ横のブース席だった。ステージは小さく、フロアーにはステージとテーブル席との仕切がない。すぐにバンドのメンバーが現われ、最後に黒縁の眼鏡、白いワイシャツ、茶色のコーデュロイズボン姿のウッディ・アレンがステージに置かれた椅子に腰掛けた。彼は映画で観るのと同じように神経質そうで、どこか頼りなさげに見えた。

 ウッディ・アレンは大御所になりすぎて、彼の作品が面白いともろ手をあげて褒めるのはオリジナリティが感じられず、どこかためらう部分が僕のなかにはあるのだけれど、そんなおかしな自尊心など無視できるほど『Mere Anarchy』は面白かった。

 彼の作品を身近に感じるのは僕が長年マンハッタンに住んでいるからだろうか。マンハッタンの住人の方が彼の作品の面白さをよく理解できるという僕の思いは、マンハッタンに住む者だけが持つ鼻持ちならないスノビズムなんだろうか。

 しかし、彼がニューヨークの感受性で映画を含める多くの作品をこれまで発表してきたのは確かだろう。いろいろな時代、様々な人間、異なる土地を題材にしても、彼の視線はずっと変わっていない。単に都会的というのではなくニューヨークの生活感にぴったりくるものの見方(洗練、強烈な皮肉・風刺とともに鋭い自己洞察が共存している)というのが、多くの作品を貫くその視線だ。今回の新刊にも同じ視線がうかがえる。僕はウッディ・アレンの文章を読みながら、ずっと変わらぬ彼のものの捉えかたにノスタルジーを覚えたくらいだ。

 本の内容を紹介すると、これまで未発表であった8作品を含めた18作品が収められている。本の総ページ数が160ページと少ないので、どれも短い作品だ。発表された作品の多くは『ニューヨーカー』誌に掲載されたものだ。

 僕が特によいと感じた作品は『The Nib For Hire』、『Calisthenics, Poison Ivy, Final Cut』、『The Rejection』などだが、まあ、これも個人の好みの問題で、他の作品がこれらの作品に比べて劣っているというものではない。

 少し作品の筋を紹介しよう。

 『The Nib For Hire』は売れない文学青年がニューヨークのカーライル・ホテルのスイートルームで、3ばか大将のノベライゼーションを依頼されるというもの。フォークナー、ドストエフスキーフィッツジェラルド、ヘミングウエイなどの名前と共に、3ばか大将が出てくるところがめちゃくちゃに可笑しい。

 『Calisthenics, Poison Ivy, Final Cut』は夏におこなわれるサマーキャンプのひとつ、映画を作るフィルム・キャンプに参加した少年の映画がミラマックス社から1600万ドルのオファーを受ける物語。この契約をめぐって少年の親とキャンプ主催者の争いがくりひろげられる。親は契約金の半分が主催者にいくのは許せないと言い、主催者は少年がキャンプの機材を使いスタッフの手伝いのもとに映画を作ったと言う。ブラック・ユーモア溢れる手紙のやりとりが面白い。

 『The Rejection』はニューヨークのアッパーイーストサイドにある有名保育園(幼稚園の前に入れる学校)の受験に失敗した子供を持つ親ボリスが主人公だ。その保育園に子供が入れなかったというニュースはすぐにマンハッタン中に広がり、ボリスは一流レストランへの出入りが禁止となり、会社を追われ、ついにはホームレス用のシェルターに入ることになる。小さな子供の親であるウッディ・アレンも巻き込まれたに違いない、ニューヨークの学校事情がコミカルにしかし鋭く風刺されている。

 ウッディ・アレンの作品は設定も可笑しいが、文章も冴えている。

 「ワッシュバーンさんは、切れていても切れていなくとも火曜日と金曜日に電球を変えるのが好きでした。彼女は新鮮な電球が好きだったんです」

 「主演女優が最後になって自分のロットワイラー犬を連れていくと決めたので、チャーター便での私の席がなくなったと映画のプロデューサーは説明してくれた」

 「金曜日に目覚めると、宇宙の膨張により、いつもより服を探すのに時間がかかった」

 など、この新刊でも彼ならではのユーモア溢れる文章が楽しめる。

その他『Mere Anarchy』には、アパートの改築工事の話、子守りの話、ミッキー・マウスが証人として登場する裁判の物語などどれも傑作といえる作品が収められている。

 また、以前のウッディ・アレンの作品を読みたい人には『Getting Even(邦題:これでおあいこ)』(1971)、『Without Feathers(邦題:羽根むしられて)』(1975)、『Side Effects(邦題:ぼくの副作用)』(1980)の3冊を収めたお得な『The Insanity Defense』というペーパバックが最近出版されたのでこちらがお勧めだ。

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