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『折れない葦  医療と福祉のはざまで生きる』 京都新聞取材班(京都新聞出版センター)

折れない葦  医療と福祉のはざまで生きる

→紀伊國屋書店で購入

「2006年度 日本新聞協会賞受賞」


インターネット配信などもあり、

情報は常に過剰供給で身辺で氾濫している。

だから、知りたくもないようなことも知らされるので、

悪いニュースに溺れるような気もしないでもない。

でも、社会の底辺に生きる人たちの中に、

語りだしたい人たちは大勢いる。

もしも、大きな声が出せるのなら、

不特定多数の人々に向かって、

叫びたい人たちがいる。

では、そのような声を、他人様の不幸などを、

知りたくないという人たちに、

いったいどのように、届けようか。

まずは、大声で叫びたい、知らせたいという

人々の側に留まること。

そうして、大勢の目にとまるところに自然に居て、

ペンの力で人々の共感を呼び覚ますんだ。

これは、他の媒体ではなかなかできないから、

新聞がもつ元来の力、紙媒体の役目と私は信じている。

取材班の岡本記者が、東京の私のところにやってきたのは

もう、かれこれ2年以上も前のことで、

彼がうちの玄関先で、関西風に挨拶した時、

なぜ京都新聞が?と訝ったのだが。

彼の取材先は埼玉の独居ALS患者、谷岡康則さん。

ハンドルネーム「ベア」さんで、

療養の知恵を公開するために

自分でホームページを開設していた。

自立支援法に、医療制度に、ヘルパーの吸引、

法制度はどんどん様変わりするけれど、

社会の大きなうねりの中に、ALS患者の生は巻き込まれてしまう。

岡本さんのベアさん取材は長く続いたが、

病気の進行に加えて社会的なサポート不足で

ベアさんの療養生活はどんどん困窮していった。

でも、孤独に耐え、なおその先を生きようとする

ベアさんの言葉を、パソコンの画面に拾いながら、

思い悩む岡本記者の姿に、仕事の枠を越えた使命感と、

病者に寄り添う者へのシンパシーを、

ALSの家族当事者である私は感じていた。

福祉の地域間格差は深刻だ。

たとえば、ALSひとつをとってみても、

どこで発症し、どこに住んでいるかで

余命もほとんど決定されてしまう。

治療の選択は、患者の自己決定などといわれるが、

それこそが大きな勘違いで、

だから、公的介護制度の遅れた地域での

独居ALS患者の生存は風前の灯。

ベアさん独自の療養上の工夫とは裏腹に、

私にはとても心配していたことがあったし、

それに、岡本記者の参与に従って、ベアさんの本心も

次第に見え隠れしはじめていた。

クリスマスイブの夜をALS患者の谷岡さんと二人で過ごした。

谷岡さんが一九七〇年代の日本のロックバンド「頭脳警察」の

曲をかける。

命を捨てて男になれと言われた時は/震えましょうよね

逃げなさい/隠れなさい・・・・・・

死の自己決定を議論した後で、この歌詞の意味をどう受け止めたら

いいんだろう?それぞれの生きざまに出会うたび、心を揺さぶられた。 p54

岡本さんが拾ってくる言葉は、ベアさんの可能性を

広げるものばかりだったので、私たちはメールで相談をして

ペンの力を別様に働かせよう、ともしていた矢先に、

最悪のことが起こってしまった・・・。

ベアさんのことだけではなく、

取材班の記者たちが、密着取材した人たちの生は

どれもが苦闘の連続で、悲惨でさえあるものの、

力強く明るく描かれている。

これは取材した者の視点が、「こちら側」にあることを

確実に証明しており、重病を患う者の日常の幸福を

描き出すことに成功した、たいへん稀有な連載であった。

身も心も削って取材したであろう、若い記者たちに拍手を送ろう。

こうして、京都の大学に通院する東京人の私もまた、

京都新聞のファンになっていたので、

新聞協会賞の栄冠は輝くべきところに輝いたと思った。

新聞業界の倫理もまだまだ信じられる。

そう思わせてくれる受賞だった。


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