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『The Brief Wondrous Life of Oscar Wao』Junot Diaz(Riverhead Books)

The Brief Wondrous Life of Oscar Wao

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「待ったかいがあったディアズのトラジ・コメディ長編作品」

 1996年に出版された短編集『Drown(邦題:ハイウェイとゴミ溜め)』から約10年、待ちに待ったジュノ・ディアズの最初の長編作品が出版された。

『Drown』が発表された当時、ディアズは大きな注目を浴び、一躍アメリカ文学界の寵児となった感があった。『ニューヨーク・タイムズ』紙が彼を大きな記事として取り上げ、『ニューヨーカー』誌もディアズの短編を載せ、『ニューズウィーク』誌も「今年のニューフェイス」として彼を選んだ。

ニューヨークのメディアが彼を取り上げ始めたそんな頃、僕はディアズにインタビューを申し込んだ。『Drown』のためのブックツアーが終わり、彼が新しい作品を書き出したと伝えられた頃、僕はディアズと会うことができた。インタビューを申し込んでから2カ月が経っていた。

当時、ディアズの人気とともにアメリカ文学界では「マルチカルチャル・ライティング」という言葉がよく使われるようになってきていた。ハイチ、ドミニカ共和国、韓国、中国、ジャマイカからアメリカに移民を果たした人々やその移民の子供たちによって書かれた作品をこう呼んだ。その後、エドウィッジ・ダンティカ(ハイチ)、ハ・ジン(中国)、チャン・レイ・リー(韓国)、ジュンパ・ラヒリ(インド)などの作家が自分たちのアメリカでの体験をもとに次々と優れた作品を出版した。

アメリカに長く住む日本人である僕は、彼らの作品をよく読んだ。そこには主流から外れた、しかしある種のたくましさがある可笑しく悲しいトラジ・コメディーと呼べる悲喜劇が展開されていた。

共通するのは、自己のアイデンティティに関する意識だった。

移民として移ってきたアメリカで大人になって身につけた社会性は意識して使う道具のように、決して自然に使いこなせるものではない。一方祖国との接触は、練習を怠ったスポーツ選手のようにときに大きく的を外すことになる。社会の外にいる。彼らは、その断層を鮮やかに描いてみせてくれた。

ところで、今回のディアズの作品であるが、待ったかいがあったと満足できる作品だった。主人公は、太っていておたく系の趣味を持つオスカーとセクシーで仲間に人気があるが、やはりどこか人生がうまくいかない姉のローラ。家族はトルヒーヨ将軍の独裁政治が続くドミニカ共和国を逃れてアメリカに移民をした。ディアズは、暴力的なラテン系アメリカ人社会で暮らすオスカーとローラの姿を巧みに描きながら、母親が逃れてきたドミニカでの出来事も鮮やかに描き出している。

ディアズの優れた才能は、ストリートの「声」を吸い上げ、閃きのある文章でその「声」を僕たちの前に差し出してくれるところだろう。スペイン語と英語を混ぜた言葉も多くでてきて、こんな英語の使い方もあるのだと声を出して笑ってしまう場面もある。

主流から外れたアメリカのもうひとつの顔を知りたい人、優れたアメリカ文学作品を読みたい人(アメリカという移民社会でなければこういう作品は出てこない)、それにもちろんディアズファンにとっても見逃せない作品となっている。お勧めです。


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