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『一六世紀文化革命. 1 』山本義隆(みすず書房)

一六世紀文化革命. 1

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「メディアとしての書物の力」

一五世紀の半ばに印刷書籍が一般に流通するようになったことが、科学の世界にどれほど大きな影響を与えたかを詳しくたどるこの著書は、書物論としても読み応えのあるものだ。それまで手書きで筆写していた場合には、書き写しの間違いがどうしても発生していたが、いまやまったく同一の版が、写本よりもはるかに安価な費用ででまわるようになったのである。それが「一六世紀文化革命」をもたらしたのだと、著者は指摘する。

まず芸術理論の分野では、ルネサンスに発見された遠近法が、言葉による説明ではなく、実際の図版をもちいて示されることで、まったく誤解の余地のない理解が可能になった。デューラーはそれまで抽象的な理論で語られてきた遠近法を、図版で詳しく説明する。それはたんに遠近法という絵画の技術にとどまるものではなく、測定術や、幾何学における作図法にまで広げられる。

デューラーは新しい科学にとって図版のもつ意義、とりわけ木版画印刷本によって精密で性格な図版を何枚も複製しうることの重要性に気付いた最初の人間の一人」(一巻一〇四ページ)だったのであり、「自然科学書、工学書、技術マニュアル」の最初の創始者の一人(同、一〇五ページ)となったのである。

もちろんこうした図版画の効用は、芸術や工学の分野に限られるものではない。医学では人体の骨格、筋肉、血管だけを描いた図版が作成され、これが医学の前進に大きく貢献したのである。また印刷物の普及は図版だけではなく、俗語の利用も推進させることになった。医学の分野では、ラテン語を利用することが、医学者としての地位を守るために重要な秘訣だった。ある医学大学では食事中にラテン語を使わないと罰せられたという(同、一七六ページ)。

そして医薬品についての知識、治療の技術についての知識は、同業組合によって重要な情報として秘匿されていたのである。俗語で書かれた書物は、この秘密を一挙に暴露してしまう。だれもが入手できる書物に、わかりやすい図版とともに、だれもが理解できる普通の言葉でこうした情報が記載されるようになると、組合への所属ではなく、医師としての技術と知識が真に問われるようになるのである。

また印刷された図版は、植物学の分野でも威力を発揮した。プリニウスの頃には、図版といっても「植物のことを理解してもいなけれは現物を見てもいない人物の手による複製」(同、二〇六ページ)が満足しなければならず、同じ植物も地域が異なると違う名前で呼ばれ、同定するのが困難だった。言葉による説明の限界は明らかだろう。

鉱山業では、さまざまな複雑な機械が図解され、厳密な定量化が貫かれることで、「山師」としての鉱山活動から、近代的な科学的な鉱山業に発展していく。こうした書籍では中心となるのは図版であり、「テクストは従で、文字が読めなくとも理解できるようになっている」のであり、「俗語しか読めない大多数の技術者や職人を読者に想定して書かれた」(第二巻、四二八ページ)。錬金術から近代的な科学への進展も、こうした書物の普及と無縁ではないし、天文学でもチコ・ブラーエは、書物で「プトレマイオスコペルニクスの計算結果とおのれの観察結果を比較することができた」(同、四九四ページ)ことで、本格的な天体観察の道が開かれたのである。

商業の世界でも、ラテン数字の利用と、算板に代わる新しい手計算術が書物で紹介されるとともに、大学では教えられない計算術が商人の間で普及するようになる。こうした書物は多数の版を重ねて読まれるのである。こうした「商業数学の研鑽と教育の蓄積」が、「一六世紀の代数学の発展-一六世紀の数学革命をもたらすことになった」のである(第一巻、三三〇ページ)。

書物の普及によって失われたものもたしかにあるのだが、近代的な科学の発展のために、メディアとしての書物がもたらした貢献は大きなものである。この時期においては書物はたんに知識を伝達するためのひとつの手段であるというよりも、それまでの学問のやりかたそのものに疑問を突き付け、閉ざされる知識の場に窓を開けるするという、いわば「民主主義的な」革命のための方法であり、思想でもあったのである。

【書誌情報】

■一六世紀文化革命. 1

山本義隆[著]

みすず書房

■2007.4

■390,29p ; 20cm

■ISBN 9784622072867

■定価  3200円


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