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『Mozart Women』Jane Glover(Harper Collins)

Mozart Women

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「英国の女性コンダクターが描いたモーツァルトの生涯」

僕の人生を豊かにしてくれるものに音楽がある。高校の時にはブルースバンドを組み米軍のベースキャンプで演奏していた。その後、ボストンの大学に入り、軽い気持で取った音楽のクラスでハーバード大学出身の優れた教授に出会い、僕はすぐに専攻を文化人類学からクラシック音楽に変えた。そして、大学院はカリフォルニア州ロングビーチにある州立大学の現代音楽作曲部に入った。そして30歳過ぎまで本気で音楽家で食べていこうと努力したが、結局、夢はかなく破れさり、ロサンゼルスにあった日系雑誌社の記者となり生活をしていくこととなった。

さて、今回紹介する本はモーツァルトの生涯を描いた『Mozart Women』。著者は18世紀音楽の指揮者として著名な英国のコンダクター、ジェーン・グローヴァー。彼女がモーツァルトの音楽性についてだけではなく、人としてのモーツァルトを語るところにこの本の楽しさがある。

本のタイトルからするとグローヴァーはモーツァルトに影響を与えた女性を中心に書きたかったようだが、モーツァルトの生涯を語るにはどうしても父のレオポルドの存在を避けては通れない。この本でも女性たちではなく、やはり父が中心的存在になってしまうのはいたしかたないだろう。

とはいえ、この本ではモーツァルトの母親のアンナ・マリア、最愛の姉ナンネル、初恋の相手であった従姉妹のベーズレ、モーツアルトが死ぬ時に彼を腕に抱いていたウェーバー家の末娘ソフィー、そして妻となったウェーバー家の三女コンスタンツェの姿が生き生きと描かれている。

また、モーツァルトが職を求めてヨーロッパを巡った演奏旅行のことも詳しく書かれている。モーツァルトの家族は1762年(モーツァルト6歳、姉ナンネル10歳)のミュンヘンへの旅をきっかけに、ふたりの音楽神童をヨーロッパの貴族や一般の人々に知らしめる演奏旅行に何度かでかけた。パリ、ロンドン、ウィーン、アムステルダムブリュッセルミラノ、ローマなどを巡り、時には3年半も故郷のザルツブルグに戻ることはなかった。

その間、モーツァルトはオペラ、シンフォニー、バレエなど彼にとっての新たな音楽形式に触れ、音楽的才能を伸ばしていった。

10代半ばを過ぎると、演奏旅行はよい職を見つけるための旅となったが、モーツァルトに音楽家としての高い地位を与えようとする貴族はいなかった。そんな旅の途中に母のアンナ・マリアはパリで死んでしまう。モーツァルトは故郷に残っていたレオポルドとナンネルに悲しい知らせの手紙を書いた。

そして、ザルツブルグに戻ったモーツァルトはいやいやながらも地元の宮廷音楽家の職についた。しかし、1781年、折り合いの悪かったザルツブルグ大司教から「料理人より上だが、従者より格が下」の音楽家の職を解かれてしまう。モーツァルトにとってはこの解雇が人生の大きな転機となり、当時ウィーンにいた彼は、誰のもとに属さず、作曲や演奏の注文だけで身を立てていく決心をする。つまり今でいうフリーランサーだ。モーツァルトは偉大なフリーランサーだったのだ。

この本では1791年のモーツァルトの死後、ナンネルやコンスタンツェがいかなる人生を送ったかも知ることができる。モーツァルトの葬儀、『レクイエム』を取り巻く複雑な事情、モーツァルトの楽譜や伝記の出版にまつわる話なども読めるので、読者にとっては充実した内容の本となっている。


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