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『The Body Artist 』Don DeLillo(Scribner)

The Body Artist

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「シュールで幻想的な作品」


 現代のアメリカ文学を代表する作家のひとりドン・デリーロ。彼の著作には『White Noise』や『Underworld』など有名な作品があるが、今回読んだのは『The Body Artist』。

 『The Body Artist』はシュール・リアリスティックで幻想的、文章は美しいが甘さはない作品だ。

 物語はローレンというボディ・アーティストと夫のレイの日常の場面から始まる。ふたりの交わす会話は少しちぐはぐな感じだ。

 第一章の終わりにきて、レイがいきなり前の妻の家で自殺をしてしまう。その事実があまりに突然書かれているので、僕はあわててそれまでの25ページを読み直した。どこかにレイの自殺を匂わす文章が読み取れないか、もう一度読まずにはいられなかったのだ。

 そいえば以前にも同じように、あわてて読み返した物語があった。それはヘミングウエイの『The Snows of Kilimanjaro』。『The Snows of Kilimanjaro』の最後の数ページは、本当に美しかった。

 ヘミングウエイの作品は愛する男の死が最後に用意されていたが、デリーロのこの作品は夫の死がまず最初に訪れる。

 ローレンは夫の死後、借りたばかり家のなかでひとりの男を発見する。以前からこの家のどこかに隠れていたようだ。その男は知恵遅れなのか、何を聞いてもまともな返事が戻ってこない。彼を精神病院に連れていこうかと考えているうちに、男が突然彼女と同じ声の調子で話しだす。

 そして、数日後にはレイの声とレイの口調が男の口から発せられる。しかし、レイの話し方になるのはほんの一瞬で、男は再び要領を得ない会話に戻ってしまう。ローレンはレイがこの男の意識のなかに存在しているのではなかろうかと考える。

 これは一種のゴースト・ストリーなのだろうかと僕は思った。デリーロの描きだす男は掴みどころがなく、ローレンの見ているものはレイの幽霊ではないかと思ってしまったのだ。デリーロは、何故男がレイの声で話をするのかはっきりさせないまま、さらに物語を進める。

 ローレンはテープレコーダーを常に持ち歩き、ふたりの会話を録音するようになる。

 僕は、ここでもう一度、男の出現からテープレコーダーのくだりまで読み返した。何かがおかしい。デリーロの作り上げる文章には何かが潜んでいるような気がしたのだ。読み返したがそこに何が潜んでいるかは、はっきりとは掴めなかった。

 ローレンは、ボディ・アーティストのパフォーマンスをボストンで開く。彼女のボディ・アートとは入れ墨の極端な形として、腕を銃で打ち抜いたり、女性の性器で絵画を描いたりというものだ。

 このパフォーマンスの章を境に、物語はさらに現実と意識の領域が薄くなってくる。

 ローレンの見ているものは本当の人間なのだろうか、それともレイのゴーストなのか。そのどちらでもなく、ローレンが自分の意識のかで勝手に作り上げたものなのか。ローレンの意識とレイの意識、過去と現在の時間の流れが渾沌としてくる。

 僕は最後の数ページをもう一度読みかえした。

 彼女がたどり着く場所は、彼女自身の死か狂気の世界か。日にちを置いて、もう一回読んでみたくなる作品だった。


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